2011年5月3日火曜日

矢倉山観音寺

浄土宗矢倉山観音寺は、不動尊が鎮座する矢倉山のすぐ隣にあります。

記録が残っていないのそうなので、寺の縁起に関しては詳らかではありませんが、一説には草創は慶安四年、浄土宗の良伯和尚が、くぐり岩に金比羅大権現を安置したことに始まるといわれています。
はじめは櫓崎岩屋観音と呼ばれていましたが、享保八年(1723)正覚寺九世住職清南和尚が当地を訪れ、豊漁と航海の安全、五穀豊穣を祈願するため、村人に草庵を作らせました。
この草庵は鴻前庵と呼ばれていたそうです。
のち明治十二年の龍洞和尚(福井龍洞)の時に、県へ申請した結果、許可が下りて鴻前庵は寺院に昇格し、矢倉山観音寺と称するようになりました。

開基の年代については、櫓崎岩屋観音が作られた時とするか、鴻前庵が作られた時とするかで諸説あるわけですが、観音寺の方では寺院に昇格した後の、龍舌和尚を初代としているということです。


御本尊は作者不明、一説には恵心僧都の作ともいわれている阿弥陀如来像で、そのほかに寺宝として観世音菩薩像、地蔵尊像、金比羅尊像、天狗像一対などが伝わっています。

金比羅尊像は先に述べた通り、慶安四年に良伯和尚によって祀られたものだとされますが、享保年間に清南和尚が漁の安全を願うため、または山林河海で横死した精霊のため、観音寺(鴻前庵)の中に祀ったものだともされており、出処も年代もはっきりしません。
そのほかにも伝承がよくわからない仏像が多いそうです。

金比羅は「クビラ」の読みが変化したもので、元々は川に棲む鰐を神格化したインドの神様でありました。
日本に来てからは海上安全の神様として信仰されてきましたが、その一方で、役小角にゆかりがあり、修験道や山岳信仰とも関係がある神様だともされています。

観音寺の入口には柱と貫だけの鳥居のようなものがあり、寺宝として金比羅像や天狗像が伝わっていることからも、かつては神仏混淆する形で信仰していたのではないかと思わせるふしがありましたが、資料が無い以上、正確なことはわかりません。


ちなみに、観音寺近くの川上神社はかつて観音堂と呼ばれ、修験者が管理していましたが、これと観音寺との直接的な関係は無いようでした。

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