2011年5月13日金曜日

桜特集③ 三内の桜

以前、三内の八幡宮を書いた際にも少し触れましたが、三内も昔から桜の名所として有名であったところです。
重複しますが、菅江真澄「すみかの山」の寛政八年(1796)四月十四日の項に三内の桜についての記述があるので、もう一度引用してみましょう。

このあたりに名だたる三内の桜見てんと、つとめて大浜(青森市)を出て川渡り新田村をへて、<中略>野山のみちいとおもしろく、かくて三内村に来たり。飯形、誉田のおほん神をあはせまつる社あり。路いさゝか斗行ば向三内、亦の(名=脱)を小三内ともいふ処あり。こゝにも飯成(いなり)の神籬ありて社の花高やかに、大三内、小三内も、杜の花なべて世の花に似ず。一もとの木に、二朶三えださゝやかに茂りて、花に花の寄生あるがごとく、又たぐふかたこそあらね。いとちいさき桜はひしひしとしげう生ひたちありて、この小桜にも、小枝毬のごとくさして木ぶりもみなおなじ。人にとへば、名におふ三内の千本桜と申て、亦に外になき桜木也。卯辰(天明三、四年)の、世の中凶しかりし年の前までは、三芳野はしらず、ひろき世の中なかにも、かゝるおもしろき花ある処はあらじやと、吾がすむ郷ながら、花咲ころはこゝろほこりかなりしかど、その世のためにたき木にこりて、今は花の木も残りすくなうなり行てしか、若木も彦生(ひこばえ)もいと多ければ、十とせをもへたらましかば、むかし春といや栄へなんと、あないせし村長が話るに、此花、あはれ一枝を神の祟りもあらずばといへば、何の祟りあらんがほに、おしげもなう手折くれたり。

三内霊園にたくさんの桜が植わっていることは、地元民としてはもちろん存じ上げておりましたが、この菅江真澄の記述にある三内の桜とは三内霊園の桜で合っているのかどうか、わたくしはかねてより疑問に思っていました。
しかし『角川地名大辞典』に、「昭和13年から字沢部の段丘地を青森市が買収し、市街地にある寺院の墓地の移転を開始した。墓地造成は徐々になされ、同40年には総面積7万3,000坪(約24万㎡)の三内霊園となる。名高い桜林も残り、眺望豊かな墓地公園が完成した」という記述があったので、おそらく菅江真澄が見た桜はここで間違いないのだと思います。


一枚目は三内から石江方面へ抜ける一番大きな通りの写真で、二枚目は霊園のすぐそばの溜め池(たぶん)の写真です。
個人的には、墓所でカメラを構えることに対してなんとなく抵抗があるので、主に溜め池方面の写真ばっかり撮っていましたよ。

それにしても、本当にたくさんお墓がありました。
「すみかの山」には「三芳野はしらず、ひろき世の中なかにも、かゝるおもしろき花ある処はあらじや」と村長が語ったというふうにありますが、今のように霊園が造成されていなかった頃は、どんな景色だったのでありましょうか。
今は山一面の桜というよりは、むしろ山一面の墓地という感じでした。

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