2011年8月20日土曜日

高田の追分の松と追分石

県道青森浪岡線と入内方面への道の分岐点のあたりに、高田の追分の松と追分石と呼ばれるものがあります。



追分の石の表面には「奉納 観世音菩薩」の字が読み取れますが、大矢清治編著『-青森市高田-ふるさとの歴史を歩く』によれば、正確には「奉納観世音菩薩納経塚、右往還、左入内」とあるそうです。
また、裏面には「嘉永六癸丑年(※1853)野沢村領主新山久助」の文字があるということです。

同書によれば、この追分石はかつては旧豆坂道(津軽藩との往還道)の地蔵堂の傍にあり、怪物石とか入道石とかいわれた生石であったということですが、のち(時期不詳)、現在の場所に移して、津軽二十四番札所入内観音の納経塚にしたと伝えられています。
よくわかりませんが、後年納経塚にしたということは、前出の「奉納観世音菩薩納経塚、右往還、左入内」の文字はのちに入れられたもので、はじめは何も彫られていないただの石だったのかもしれません。

写真にも写っていますが、追分の松と石の傍にバス停があります。
停留所の名前は「追分」です。
まわりに人家も無いような場所で、誰が利用するんだよという気がしないでもないのですが、ランドマーク的な場所なので、これはこれでいいのだと思いました。

松はいつごろから生えているのかわかりませんが、地域では追分の石とあわせて、この松を追分の松と呼んでいるそうです。

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