2011年8月29日月曜日

小館城址

青森市西部方面の神社を新規開拓するついでに、小館城も見てきました。
ここは郷土史関係の本で存在を知った場所ですが、その郷土史の本では詳細な場所がわからなかったので、住宅地図でなんとなくこの辺だろうとあたりをつけて、いきあたりばったりで行きました。


…道標や標柱のようなものは一切ありませんが、たぶんここでいいはず。
場所は大野市民センターの小館文館と野沢小学校の間あたりです。

大矢清治編著『-青森市高田-ふるさとの歴史を歩く』によれば、この城は築年代は不詳、柴田左エ門五郎が築城し、のちに小館弥右エ門が居城したと伝えられているものだそうです。
ただ、柴田左エ門五郎や小館弥右エ門がいかなる人物かについてはよくわかりません。

現在、城跡の一部は削平され、大野市民センター野沢分館の敷地になっておりますが、残された部分も写真の1枚目からわかるように、ただの荒涼とした空き地になっております。
また、城の西側には昭和二十年代頃まで空濠の遺構も見られたともいいますが、残念ながらこれも現在では姿を消しております。

『北海道・東北地方の中世城館〈1〉』(東洋書林、2002)によれば、城から500mほど北側に通称「タテ」と呼ばれる独立丘状のものがあるそうです。
わたしはこの本を小館城に行った後に読んだので、「タテ」についてはきちんと確認しませんでしたが、たぶん2枚目の写真の右側にあるようなこんもりした丘状のものが、500m先だから、もっとずっと遠くの方にあるのではないかと思われます。

同書に「タテ」は小館に関連する出城的性格のものかもしれないとありましたが、なんにしても実用的なちゃんとした城だったんだろうな思いました。

ちゃんとした城て。
語彙が貧弱ですみません。


追記(2011年9月5日)
鈴木征四郎『荒川町誌』(昭和33年、郷土考古学研究同志会発行)によれば、この城は「鎌倉幕府の世に、外ヶ浜蝦夷守職安藤氏の郎従、安藤季兼征伐の時、鎌倉征討軍の藤崎城より外ヶ浜へ進軍の時此処に據ったもの」であるとされています。

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