2011年9月10日土曜日

浅草寺へ

東京に着いて日本橋を見たあと、そのまま浅草線の日本橋駅に行き、地下鉄に乗って浅草まで行ってきました。
浅草へは幼少期に家族で行った気がしないでもありませんが、どうも記憶が定かでないので、せっかくだから見ておこうと思ったのです。

浅草駅に着いて、案内板に従い浅草寺の方へ歩いていくと、雷門のすぐ手前の交差点のあたりからスカイツリーがよく見えました。



わたくしはこれまで、スカイツリーに対して「でかすぎる」とか「東京タワーほど美しくない」とか、あまりいいようには思っていなかったのですが、実際に見てみるとなかなか美しいと感じました。
プラモがあったら買う勢いです。

まあそんなこんなで、かの有名な浅草寺の雷門の前に到着いたしました。



夜行バスは早朝に到着するので、日本橋を見てから浅草に移動しても、まだだいぶ早い時間です。



地元民とおぼしき方々がたまに行き来する以外に人の往来はほとんどなく、仲見世もシャッターが下りたまま。
そんな中にカメラを首からぶら下げた、おのぼりさん丸出しのわたくしがまぎれこむのはいかにも場違いなような気がして、少々きまりが悪かったのですが、同時に、一日が始まる前のすがすがしさも感じておりました。

さて、ここでちょっと浅草寺の雷門について説明しておきましょう。

雷門(風雷神門)は天慶五年(942)、平公雅によって創建されました。
はじめは台東区駒形付近にあったそうですが、鎌倉時代以降、現在地に移築された際に初めて風神・雷神が奉安され、以来、風雷神門と呼ばれるようになったといわれています。
現在はただ「雷門」とだけ呼ばれますが、いつごろからそのように呼ばれるようになったのかはよくわからないそうです。
その後、数度の焼失・再建を経、現在に至ります。
現在の門は、慶応元年(1865)十二月の田原町大火で炎上した門に替わり、昭和三十五年(1960)に松下電器創始者、松下幸之助氏の寄進により、95年ぶりに復興再建されたものだということです。

名前の由来になった風神雷神像は、慶応の大火により頭部を残して焼失、のち明治七年(1874)に塩川蓮玉氏の手によって補刻され、昭和三十五年(1960)には森大造・萩原雅春氏によって修補彩色を施されました。




雷門の裏側には天龍(男性の姿)金龍(女性の姿)の像があります。



これは昭和五十三年(1978)三月に松下グループ有志により寄進されたもので、天龍は平櫛田中氏、金龍は菅原安男氏の作だということです。

ちなみに、雷門の大提灯も松下幸之助氏の寄進したものだそうですが、松下グループによる寄進が多いのは、幸之助氏が病を得、浅草寺に参拝して祈願したところ、ほどなく回復したので、病気平癒のお礼の意味を込めて寄進したからなのだそうです。
そうウィキペディアに書いてありました。

雷門についてはだいたいこんな感じです。
次回はもう少し奥の方へ行ってみることにしましょう。

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