2011年9月12日月曜日

浅草寺の縁起

ここで、浅草寺の縁起について少々触れておきましょう。

伝えるところによれば、時は推古天皇三十六年(628)三月十八日。
檜前浜成・竹成という兄弟が隅田川で漁をしておりますと、水中よりなにやら人の形をした像を引き揚げます。
その日は不思議と魚は一匹も獲れず、何度場所を変えても網にかかるのは同じような人型の像ばかりです。
そこで兄弟はこの像を持ち帰り、当時、郷土の知識人であった土師真仲知(一説には直中知)に一見を願ったところ、その像が聖観音菩薩像であることが判明いたしました。
土師真仲知はこれを拝し、のちに剃髪して沙門となり、自宅を改めて寺としました。

その後、大化元年(645)には勝海上人が当地に来て観音堂を建立、夢告により御本尊を秘仏と定めたといわれています。
以来、浅草寺の御本尊の聖観音菩薩像はずっと秘仏のままです。
天慶五年(828)には慈覚大師円仁が来山し、秘仏の御本尊のかわりに拝む「お前立」の聖観音像を謹刻しました。
こうしたことから、浅草寺では公式には開基は勝海上人、中興開山を慈覚大師としているとのことです。

やがて、浅草寺は歴史上の有名な武将たちの信仰を集めるなどして、徐々に発展していきます。
江戸時代の初めに徳川家康によって幕府の祈願所と定められると、さらに堂塔の威容が整っていきました。
慶安二年(1649)には徳川家光の寄進により本堂と仁王門が落慶。
この時の本堂(旧国宝)は、残念ながら昭和二十年に戦災で焼失してしまいますが、昭和三十三年に家光公当時と同じ形態で本堂が再建されます。
これが現在の浅草寺本堂であります。

浅草寺の来歴についてはだいたいこのような感じです。
あとは面倒くさいので、各自浅草寺のホームページ等を読んでください。


さて、前述の通り浅草寺は都内最古の寺院のひとつであり、「浅草の観音様」として往古から多くの人々の信仰を集めておりました。
現在でも、毎年非常に多くの参詣者があることは言わずもがなでありますが、参詣に来た観光客らに混じって、通勤通学に境内を利用する地元の人たちが本堂の前で一礼していくさまが、個人的には非常に好ましく思えました。
きっと、連綿と続く江戸文化とか下町文化みたいなものを、こういう人たちが担ってきたのだろうと思います。

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