2011年10月29日土曜日

愛宕神社(東京都港区)の由緒

愛宕神社の草創は詳らかではありませんが、建立には徳川家康が大きく関わっているといわれています。

天正十年(1582)本能寺の変に際し、徳川家康は堺(現大阪府堺市)から大和路を経て近江紫香楽(現滋賀県信楽町)に入り、多羅尾四郎右衛門という者の屋敷に宿泊すると、そこで勝軍地蔵(一説に行基作)を献上されました。
のち慶長八年(1603)九月、幕命により愛宕山に社殿を建立、真言宗円福寺が別当となり、勝軍地蔵菩薩を祀って将軍家の祈願所としました。
これが愛宕神社のはじまりとされています。

社名の愛宕神社は、勝軍地蔵菩薩の垂迹とされている愛宕権現に由来するものでありましょう。
愛宕権現は軍神的な性格を持ち、武士からの崇敬が篤かったほか、火難除けの神としても知られ、ために愛宕神社は江戸府内の防火の総鎮守として広く信仰されてきたそうです。

現在は主祭神として火産霊命(火の神)、そのほかに罔象女命(水の神)、大山祇命(山の神)、日本武尊(武神)を正面社殿に祀ります。
これらの祭神が祀られるようになった経緯は不明ですが、社殿建立当初から神仏混淆した形で愛宕権現(=勝軍地蔵菩薩)が祀られてきたと思われるので、明治初年の神仏混淆廃止をうけて仏体を廃し、しかるのちにこれら神道の神々を勧請したものではないかと思います。
おそらく火伏せに関連して火の神・水の神である火産霊命・罔象女命を、社殿が愛宕山山頂に鎮座しているということから山の神である大山祇命を祀り、さらに愛宕権現の軍神的な性質に関連して日本武尊を祀るようになったのではありますまいか。


その他、境内には末社として太郎坊社(猿田彦・天狗)、福寿稲荷社、大黒天社、弁天社があります。

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