2011年11月10日木曜日

日枝神社(千代田区)の末社

日枝神社に戦災を免れた末社があることと、その末社のところに狛犬がいることは前回・前々回の記事で少々触れた通りですが、今日はそれについて書くことにいたしましょう。

末社があるのは、社殿を囲っている回廊の北側の門を出たあたりですが、社地の外から直に末社の方へ行く場合は、丸ノ内線赤坂見附駅方面の稲荷参道を通っていってもいいでしょう。



稲荷参道には氏子の方々から寄進された90基の鳥居や幟が立ち並び、見どころのひとつになっています。

末社は山王稲荷神社と猿田彦神社、八坂神社の合計三社です。
末社拝殿の向拝の部分は、鳥居も賽銭箱も一か所にまとめられていますが、屋根の破風は二つで、裏に回ると本殿も二つに分かれていました。
末社は三社なのに、本殿が二つしかないのは、八坂神社が猿田彦神社の相殿神として一緒に祀られているからのようです。



本殿の写真は撮っていませんが、左に山王稲荷神社の本殿があり、右に猿田彦神社・八坂神社の本殿がありました。

山王稲荷神社は、明暦の大火をうけて山王宮が遷座される前、当地が松平忠房の邸地であった頃から邸内鎮守として祀られていたといわれています。
本殿は、万治二年(1659)の山王宮造営に合わせて造営されたもので、その後の数多の災害や戦災などから焼失を免れたたいへん貴重なものです。
日枝神社に現存する建築の中では最も古く、また、関東地方には少ない縋形式を持つ春日造の社殿であるということから、千代田区の有形文化財(建造物)に指定されています。

一方の猿田彦神社は、日枝神社の神使が猿であることに関連して庚申祠として勧請されたもののようで、これもやはり、はじめは万治二年(1659)の山王宮造営時に建立されたというふうに伝えられています。
相殿に祀られている八坂神社の祭神は、日枝神社主祭神の大山咋神の父祖神である須佐之男神で、これは明治十八年(1885)二月十三日未明に神田神社周辺で発生した火災によって焼失した、神田神社境内社の南伝馬町天王社の祭神を、翌十九年に相殿神として奉斎したもののようです。

これら末社の本殿の前に、狛犬が一対安置されていました。



この狛犬は、境内の案内板を見てみると、もともとは前出の神田神社境内にあった南伝馬町天王社に奉納されたものであるようです。
天王社が日枝神社境内に移ってからも、しばらくこの狛犬は神田神社境内に残っていたみたいですが、その後、明治三十四年(1901)に南伝馬町天王社に由来する石造物が日枝神社境内に移転・再設置されるのに際し、当地に移ってきたといわれています。
納まるべきところに納まったという感じでしょうか。

台座には「文政三庚辰年(※1820)六月吉日」の記載があり、江戸時代の銘文を持つ貴重な狛犬として、千代田区の有形民俗文化財にも指定されています。

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