2012年1月14日土曜日

花園神社の由緒

花園稲荷は草創年不詳。一説には徳川氏の武蔵入国以前の鎮座で、大和国吉野山より勧請されたと伝えられています。
古来より広く崇敬を集めてきた神社であります。
もともとの社地は、現在地とは少し離れた場所にありましたが、旧社地が朝倉筑後守の下屋敷に囲まれることになったため、寛永年中(1624-44)に代地を与えられて現在地に移ったといわれています。

御祭神は花園稲荷大明神(現在は倉稲魂神・日本武尊・受持神)。
当神社は、古くから花園社、江戸時代の別当院にちなんで三光院稲荷、地名にちなんで四谷追分稲荷、またはたんに稲荷神社などと呼ばれてきたそうですが、明治初年の神仏分離令ののち、稲荷神社が正式名称となりました。
しかし、たんに稲荷神社というだけでは、稲荷神社の総本山である伏見稲荷と混同してまぎらわしく、また、古くから花園社という呼称が使われていたことから、大正五年に花園稲荷神社に改称されました。
さらにのち、末社の大鳥神社を本社に合祀したことから、昭和四十年に花園神社に改称して現在にいたります。

花園稲荷の名称の由来については、尾張徳川家の女中花園が信仰していたためだという説と、花で知られる大和吉野から勧請されたためだという説、社地が尾張藩下屋敷の花園であったという説(平凡社『東京都の地名』)などがありますが、詳細はよくわかっていません。

詳しくは花園稲荷神社のホームページをご覧ください。

明治通り側参道
靖国通り側参道
ゴールデン街側参道
花園神社拝殿
花園神社拝殿
花園神社本殿

ところで、花園神社拝殿には花園神社・大鳥神社のほかに雷電神社の扁額があり、また、境内の天水桶にも三つの神紋が刻まれておりました。
こうしたことから、雷電神社も本社に合祀されているものと思われますが、詳しい経緯などについてはよくわかりません。


調べて何かわかったら、追記にてご報告したいと思います。

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