2012年2月14日火曜日

浅草寺再訪(1)

一度でいいから言ってみたい、チョコ食いすぎて口の中が甘ったるい。
わたしはPerfumeのチョコレイト・ディスコを聞いて、泣きながらビスコをむさぼり食いました。ウソですが。

さて、ちょっと前まで東京に行っておりまして、その際には、前回の旅で行けなかった神社仏閣や、行ったけど少し悔いが残ったのでもう一度行きたいと思った場所などを回ってきました。
昨年から東京の神社仏閣について書いていますが、今後もしばらくそれを続けるとして、今までに書いた記事で書き足りないところや撮り忘れた写真などは随時、追記・修正・写真の追加などをしていく予定であります。
しかしながら、浅草寺につきましてはちょっと写真が多いので、追記では間に合わず、こうして別記事を設けて記載させてもらうことにしました。
由緒等については、昨年九月中旬頃の記事ををご覧ください。


これは浅草寺公式ホームページにあった境内図です。
この案内図に載っているのは主な堂宇ですが、このほかにも石碑・仏像などの諸碑が境内に点在しています。
今回は、昨年行かなかった場所を重点的に攻めていきました。
今日はそのうちのいくつかをご紹介しようと思います。

まずは駒形堂です。(写真下は隅田川)


浅草寺は、檜前浜成・竹成兄弟が隅田川で引き上げた仏像を祀ったことにはじまるというのは以前述べた通りですが、駒形堂はまさに檜前兄弟が観音像を川から陸に引き上げた場所といわれている場所です。
はじめは川に面して東向きに建てられていましたが、たびたび焼失の憂き目にあい、寛保二年(1742)に再建されてからは、川を背にして西向きに建てられるようになったといわれています。

ご本尊は馬頭観音で、駒形堂という名称の由来は、案内板によると、
①隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が馳せているようなので、「駒馳け」の転訛。(『江戸名所図絵』)
②観音様へ寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼んだのが訛る。(『燕石雑誌』)
③駒形神を相州箱根山から勧請したのにちなむ。(『大日本地名辞典』)
などの説があるそうですが、定かではないようです。

場所は浅草線浅草駅何番出口だっかた忘れちゃったけど出てすぐのところ。
昔はまず駒形堂にお参りをしてから観音堂へと向かったものだといいますが、今はお参りする人の数はそんなに多くありません。

関係ないけど、前に「ブラタモリ」で、銀座線浅草駅の出口が昔の浅草寺の雰囲気に合わせて作ったとかなんとか言っていた気がするので、見つけたついでに撮っておきました。


こちらは伝法院山門。浅草寺の本坊でございます。


昨年夏に行った時は仲見世がある正面参道からしか見ませんでしたが、こちらは伝法院通りに面したところです。

でもまあ、中には入れません。
境内に幼稚園か何かあるのか、小さいお子様連れの御婦人が行ったり来たりしていたと思います。

伝法院通りをさらにもうちょっとだけ行くと、鎮護堂が見えてきます。


このあたりは明治のはじめ頃まで一面の藪だたみで、狸が棲むようなところだったそうですが、このお堂は浅草寺中興第十七世貫首、唯我韶舜大僧正の夢枕に立って火事を知らせた境内の狸を「鎮護大使者」として明治十六年(1883)に祀ったものだといわれています。
以来、火防・盗難除けの守護神として信仰が篤いとのことですが、盗難除けがどこから出てきたものかはよくわかりません。

鎮護堂は狸を祀ったところなので、「お狸さま」とも呼ばれているそうです。
境内にもお狸さまが二匹ばかりいました。


個人的には、あと五、六匹いてもいいと思います。

その他、境内には推定樹齢四~五百年のイチョウの木があり、大火や戦災から周囲を守ったというふうにもいわれているそうです。


防火のためにイチョウの木を神社仏閣の境内に植えることはよくあることですが、このあたりが焼けずに済んだのは、お狸さまとこの木のおかげだったのかも知れませんね。

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