2012年2月16日木曜日

浅草寺再訪(3)

もう少し続きます。
浅草寺境内の諸堂についてはだいたい書き終わったと思うので、今度は境内にある諸碑についてです。

まずこちらは久米平内堂。
宝蔵門のやや手前の参道右手にあります。


久米平内堂について、浅草寺ホームページではこのように説明しています。
「久米平内(くめのへいない)は江戸時代前期の人で、天和3年(1683)に没したといわれる。彼の生涯については諸説あるが、剣の道にすぐれ、多くの人を殺したので、その罪を償うために日ごろ修めていた『仁王座禅』の自分の姿を石に刻ませ、人通りの多い仁王門の近くに埋めて「踏みつけ」させたという。それが転じて『文付け』となり、のちには恋の仲立ち役の神さまとなって崇拝された。」

時代の経過によって、神様の性格が変わったり、創建の由来が曖昧になったりするのはよくあることですが、これは随分あれですね。こじつけですね。

こちらは二尊仏です。
久米平内堂の後方にあります。


江戸時代前期の貞享四年(1687)に、現在の群馬県館林の高瀬善兵衛が願主となって建立したもので、高さは蓮台も含めて約4.5メートル。
江戸初期を代表する優れた仏像であるといわれています。
右は観世音菩薩、左は勢至菩薩で、一般には「濡れ仏」の名で知られているそうですが、辞書で調べてみたら濡れ仏って露仏(屋外に安置されている仏像)と同じ意味なんですね。

こちらは戦災公孫樹です。
二天門の近くに生えています。


源頼朝が浅草寺参拝の折に挿した枝から発芽したと伝えられるイチョウの木で、推定樹齢は八百余年ともいわれています。
昭和五年に天然自然記念物に指定されましたが、昭和二十年の戦災で被災し、天然自然記念物の指定は取り消されてしまいました。
しかし戦災を生き抜いた木として、今も多くの人々に慕われているとの由。
写真に写りこんでしまった、うなだれたおじさんも、どうにか元気を出してほしいものです。

こちらは旧五重塔跡に建つ石碑です。
イチョウの木のすぐ近くにありますが、うっかりすると見逃してしまうぐらいの存在感でした。


現存する五重塔↓は、


本堂の南西に位置していますが、旧五重塔は南東の方角にあるので、ちょうど参道を挟んで正反対の位置にあったということになります。

五重塔の創建については以前にも説明したと思いますが、天慶五年(942)に平公雅が本堂と共に建立したことにはじまります。
以後、数度の倒壊・炎上にあうも、その度に再建。三代将軍家光により本堂・仁王門などと共に建立された五重塔は、国宝にも指定されていましたが、戦火により昭和二十年に他の伽藍とともに焼失してしまいました。
現在の五重塔は、昭和四十五年十月に着工され、同四十八年に完成したものだということです。

浅草寺のホームページに新旧の五重塔の比較データがあったので、いくつか抜粋してご紹介しましょう。

構造 木造→鉄骨、鉄筋コンクリート
塔高 33.18m→48.32m(地上53.32m)
九輪高 7.86m→15.07m
初層幅 4.85m四方→7.50m四方

大きく、丈夫そうになっているのがわかりますね。

とはいえ、その五重塔も、昨年の東日本大震災の影響で、塔の先端にあった重さ100㎏もの宝珠がひとつ落下してしまったといいます。
わたしはそのことを読者の方に聞いて知ったのですが、今回確認してみたところ、まだ修復はされていないようでした。
しばらくは無理かもしれませんが、いずれ元に戻る日も来るでしょう。

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