2012年2月18日土曜日

浅草神社再訪:被官稲荷神社

浅草寺にお参りして、境内をぶらぶらしたあとは、本堂の右手にある浅草神社にも行きました。(由緒等については昨年九月の記事をご覧ください)
お参りを済ませ、何か昨年見落としたものはないかと、あたりを散策していると、拝殿の右奥の方の駐車場みたいなところのさらに奥の方に、小さなお社を見つけました。

それが、この被官稲荷神社です。




由緒については、案内板にこうありました。

安政元年(一八五四)、新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(現、京都府南部)の伏見稲荷社に祈願した。その効果があって、病気全快、同二年、お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、小社を創建して被官稲荷社と名付けた。名称の由来は不詳だが、被官は「出世」と解せば良いという。<中略>社殿は一間社流造、杉皮葺。創建以来のもの。間口約一・五メートル、奥行約一・四メートルと小さいが、覆屋を構えて保護している。覆屋は大正期の建築であろう。社前には、「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻む鳥居がある。

現在は浅草神社の末社として扱われているみたいです。
小さなお社なれども、今でも油揚げをお供えする人があるようでした。



なんだかいいなあ、と思いました。

参道に石狐が二対あります。
ひとつめは玉垣の外側にありました。




右が子ぎつね、左が蔵の鍵を持っています。
台座には、「昭和六年六月吉日」「内藤作之助」「丸竹商店」などの文字が見えました。

もう一対がこちら。
屋根覆いの中に鎮座していました。



右が宝珠で、左がやはり蔵の鍵を持っています。
なぜか台座の文字を改めるのを忘れてしまいましたが、写真にも写っている「中村○○」さんが奉納者の名前でしょうか。

寡聞にして存じ上げませんでしたが、Google検索してみたら、新門辰五郎はそこそこ有名な人で、歌舞伎や講談の題材になったりもしているようです。
そうした縁故からか、または出世に御利益ありとされているからかはわかりませんが、上の「中村○○」という寄進者の名前は、どうも歌舞伎役者の中村家の方であるようでした。

わたしは新門辰五郎も歌舞伎も講談も知らぬ馬鹿者ですが、左側の狐の顔を見ていると、細かいことはどうでもいいやという気持ちになってきます。

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