2012年2月21日火曜日

世田谷城址公園

浅草で『無人駅』発売イベントを見た翌日に、本当の無人駅(東武大師線大師前駅)に行きましたが、それについては日を改めて書くことにしましょう。
先月、東京に旅立つ前まで、豪徳寺や世田谷八幡宮について書いていたので、それに少し関連して、今日は世田谷城址公園について書こうと思います。

豪徳寺や世田谷八幡宮の創建に、吉良氏という一族が関わっているということは前にも述べた通りですが、世田谷城はその吉良氏が十四世紀後半に築城し、居住した城だといわれています。


吉良氏は清和源氏・足利氏の支族で、三河国吉良庄(現愛知県吉良町)に大きな勢力を持っていた豪族でした。
世田谷吉良氏は、三河国吉良氏から分かれた奥州吉良氏の治家を祖とする一族で、鎌倉公方足利基氏より世田谷郷(現在の世田谷・豪徳寺・弦巻を中心とする一帯)をあてがわれ、十四世紀半ばに当地に入部しました。
世田谷城は中世吉良氏の居城として、室町時代初期の吉良成高の頃に築城されたものと推定されています。
十五世紀後半に関東が乱れると、吉良氏は関東管領上杉氏やその家宰太田道灌に与力。その後、世田谷城が江戸の守りとして重要な城となりますが、現存する濠・土塁の構造などから、十六世紀前半に防御のための大改築が行われたことがわかっています。
のち、吉良氏は後北条氏と婚姻関係を結び、その傘下に入りますが、天正十八年(1590)、豊臣氏の小田原攻略による後北条氏の滅亡に伴い、世田谷城も廃城になったといわれています。
元々の城の規模は正確にはわかりませんが、豪徳寺から世田谷城址公園付近にわたる、それなりに大きなお城であったようです。
二重の濠、土塁、櫓台などが残り、現存する城の一部は現在公園として整備・利用されています。都指定旧跡です。


中世の遺構も、今では近所の子供たちの遊び場になっていました。
しかしながら、このように旧跡として保護しつつ、一般の利用に供するため開放するというのは、顧みる者もいない青森市の小館城などの現状に比べたら、だいぶ幸せな余生ではないでしょうか。落書きはされてるけども。

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