2012年2月23日木曜日

勝光院

延命山勝光院は、東急世田谷線宮の坂駅から南西に200mほど路地を入ったところにある曹洞宗のお寺です。
このへんは路地が入り組んでいて、ちょっとわかりづらいところにあるのですが、神社仏閣巡りをしていると、神社仏閣に対する独自の嗅覚が発達するので、方向さえ間違わなければなんとか行けます。目印は竹林です。


勝光院は、建武二年(1335)に吉良治家が創建したと伝えられる寺院で、はじめ臨済宗に属し、金谿山龍鳳寺と称していたそうです。
その後、興善寺と改称されますが、天正元年(1573)に吉良氏朝が天永琳達を招いて中興開山として再興したのを機に、氏朝の父頼康の院号にちなみ、新たに寺名を興善山勝光院としました。
その際に、臨済宗から現在の曹洞宗に改められたといわれています。
さらにのち、元文二年(1737)に山号を延命山に改め、現在に至ります。

本尊は虚空蔵菩薩像です。
これは、天正十年に客殿(旧本堂)を建立した際に、家臣の関加賀守が寄進したものだというふうに伝えられています。
そのほかに、もと城山(世田谷城址)にあった千手院の本尊である、たいへん珍しい清水寺式の千手観世音菩薩坐像も伝えられているということです。

当寺は世田谷吉良氏の菩提寺となっており、境内の墓所には氏朝の孫義祇以後代々のお墓がありました。


墓石は全二十八基で、そのほかに墓所内の隅に集積された墓塔が十数基あります。これらは世田谷区の指定史跡です。
人のお墓を撮るのは不粋、というか失礼な気がするので、写真はありませんが、人の背丈よりもやや低い墓石がまとまっていくつも並んでいます。
井伊家の墓所に比べると小ぢんまりしたものですが、今も大切に保存されていました。

その他、境内には文政六年(1823)再建の書院、梵鐘がありますが、こちらも区有形文化財に指定されています。


梵鐘は元禄十一年(1698)に加藤太郎兵衛吉高によって鋳造されたもので、豪徳寺の梵鐘に次いで区内で二番目に古いものだとされています。
第二次世界大戦中に供出に応じましたが、さいわい鋳潰しを免れ、しばらく葛飾区東金町の金蓮院に伝えられたのち、昭和五十二年に当寺に返還され、現在に至っています。

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