2012年2月26日日曜日

松陰神社の由緒

昨年の八月に松陰神社を訪れた際には、開聞時間(7:00~17:00)に間に合わず、参拝することができなかったので、今月上旬に東京に行った際に、また行ってみることにしました。

昨年八月

なんだか、ちょっと見ない間に鳥居が新しくなっちゃって。

今年二月

立派になられましたね。

社名からも明らかなように、当社は長州藩出身の幕末の思想家・教育者である吉田松陰をお祀りする神社です。
吉田松陰は、日米修好通商条約に反対する者を弾圧した、いわゆる安政の大獄に連座して投獄され、安政六年(1859)十月二十七日に小塚原刑場にて刑死しました。享年三十歳(満二十九歳)。
死後、松陰先生の遺体は回向院に葬られましたが、死から四年後の文久三年(1863)、松下村塾門下生の高杉晋作、伊藤博文らの手により、当時長州藩の下屋敷があった現在地へ改葬されました。
のち明治十五年(1882)十一月、毛利元徳公並びに松下村塾門下の人々が相談し、墓畔に社を築いて、その御魂を奉斎いたしました。
これが松陰神社創建の由来です。

現社殿は松陰先生五十年祭を記念し、昭和二年に造営されたもの。
本殿切妻破風千鳥破風造六坪、幣殿(祝詞舎)四坪、拝殿切妻破風造二十坪、神饌所三坪で、境内地は五千坪となっています。


それはそうと、吉田松陰が祀られている松陰神社と井伊直弼が眠る豪徳寺と、直線距離にして700mほど離れたごく近距離にあります。
松陰先生も、まさか自分を投獄して死に追いやった人が眠る墓地の徒歩圏内に祀られることになるとは思いもしなかったでしょうに。
その井伊直弼も、松陰先生の死の翌年の安政七年(1860)に江戸城桜田門外で水戸藩士の襲撃をうけて暗殺されました。世にいう桜田門外の変です。

なんだかいろいろと考えさせられますね。

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