2013年2月22日金曜日

鶴岡八幡宮③舞殿、公暁の隠れ銀杏

鶴岡八幡宮境内に入って、最初に見えてくる建物が舞殿です。


舞殿はもともと若宮があった場所に、建久四年(1193)に建てられたもので、別名下拝殿とも称されてます。
静御前が義経と別れたのち鎌倉に送られ、頼朝の命によりここで舞を舞うように命じられたという伝説が残っておりますが、それゆえに舞殿と呼ぶのでしょうか。
しかし、頼朝や静御前の時代は舞殿の造営以前で、実際に静御前が舞ったのは若宮の廻廊だったといわれています。
舞殿はのち関東大震災により倒壊し、昭和八年に再建されました。


舞殿の屋根には鳩がたくさんとまっています。
鶴岡八幡宮の神使は鳩なので、当宮では鳩を飼っているそうですが、飼っているのは白い鳩らしいので、この土鳩は野生のものでしょうか。
時折飛び立っては、参詣者を驚かせていました。

舞殿の少し奥に61段の大石段があります。


その大石段の下には狛犬が一対。


人が多かったので、台座を調べる余裕がありませんでしたが、この狛犬は顔がよかったです。愛嬌がありました。


そして、石段の左側には「公暁の隠れ銀杏」と呼ばれる大銀杏があります。


「あります」というか、「あった」というべきでしょうか。
平成二十二年三月十日、強風による影響で突如倒れたことは今も記憶に新しいところだと思います。

承久元年(1219)一月二十七日、鎌倉幕府の三代源実朝が右大臣拝賀の式典の帰りに、この木の陰に隠れていた甥の公暁(実朝の兄二代頼家の子)に暗殺されたといわれ、ゆえに「公暁の隠れ銀杏」の名があります。
この事件は、比企氏を後ろ盾とする兄の頼家と、北条氏を後ろ盾とする弟実朝の、後見人同士の権力闘争の末に起きた悲劇であったといえしょうか。
頼家は頼朝の死後、鎌倉幕府の二代将軍に就任しましたが、幕府の実権を握る北条氏と対立し、間もなく将軍職をはく奪されたうえ伊豆修善寺で暗殺され、次の将軍職は北条氏擁する実朝が継ぐこととなりました。
頼家の遺児公暁は、頼家の死後仏門に入れられ八幡宮の別当になりましたが、叔父を父の敵と思い込み、復讐の機会を狙っていたといわれています。
実朝暗殺はなりましたが、公暁も間もなく討ち取られ、これにより源氏の直系の血は途絶え、北条氏が権力を掌握することになるのであります。
実の兄弟、叔父と甥が血で血を洗う恐ろしい時代ですが、頼朝が義経にしたことを思えば、親の因果が子に報いたのかもしれないなとも思います。

なお、この大銀杏は樹齢800~1000年ともいわれていますが、それにしても実朝暗殺の頃(約800年前)にはまだほんの若木であっただろうから、人ひとりが隠れうるほどの大きさではなかっただろうということで、「公暁の隠れ銀杏」の伝説は後世の創作であるとされているようです。
が、いずれにせよ鶴岡八幡宮の歴史を見てきた木には違いありません。

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