2013年2月21日木曜日

鶴岡八幡宮②由緒

それでは、まず鶴岡八幡宮の由緒について書いていきたいと思いますが、当宮は歴史ある大社であるゆえ、全部書こうとすると大変なので、少し端折って書きたいと思います。

鶴岡八幡宮は康平六年(1063)、源頼義が前九年の役で奥州を平定して鎌倉に帰ったのち、戦勝を記念して石清水八幡宮を鎌倉由比ヶ浜辺にひそかに勧請し、お祀りしたのがはじまりであるといわれています。
これが、現在鎌倉市材木座一丁目七番地に鎮座する由比若宮(元八幡宮)で、現在の鶴岡八幡宮の前身となったところだといわれています。
のち治承四年(1180)、源頼朝は源氏再興の旗を掲げ鎌倉に入ると、まず最初に「祖宗を崇め、祖業を継承せんが為(吾妻鏡)」に由比郷の八幡宮を小林郷北山の麓(現在地)に遷し祀り、源平池や若宮大路など境内の諸整備、祭祀組織や年中行事の整備を行い、漸次その規模を拡大していきました。
最初の社殿は現在の舞殿(下拝殿)のあたりにあったとされていますが、その後養和元年(1181)に改築、現在若宮がある場所に遷座しました。
その後、建久二年(1191)の大火により諸堂舎の多くが焼失してしまいますが、直ちに再建に着手した頼朝は、境内地の後方にある大臣山の中腹を切り開き、新たに社殿を造営して改めて石清水八幡宮を勧請することにしました。
この時造営されたのが現在の本宮(上宮)で、これまでの社殿は若宮または下宮と称されることとなり、これにより上下両宮の現在の結構が整いました。
社殿の造営に加えて末社の勧請なども進め、同年十一月二十一日には遷座祭が盛大に執り行われたといわれています。
その後、鎌倉幕府は頼朝・頼家・実朝の三代で幕を閉じますが、創建以来当宮は武家の守護神として北条・足利・後北条・徳川氏らの崇敬を集め、たびたび社領等の寄進、社殿の修復等が行われてきました。
現在の社殿は、若宮は寛永元年(1624)に徳川秀忠が、本宮は文政十一年(1828)に徳川家斉が造営したものだということです。

往昔は神仏混淆して祀られ、神社に仕える僧「供僧」と、供僧の長にあたる「別当」職が置かれ、承元二年(1208)には神宮寺が創建されました。
その一方で、神式の祭祀を執り行う神主も置かれ、初代の神主に大伴清元が任命されると、それ以来、明治維新に至るまで大伴家が鶴岡八幡宮の神主職を歴任したといわれています。
神宮司はその後、寛永三年(1626)に建て替えられて「薬師堂」と改称され、さらにのち明治初年の神仏分離に伴い八幡宮から姿を消しました。
供僧の多くはのちに復職して神職を務めたということです。

旧社格は国幣中社で、神紋は鶴丸・三つ巴。
御祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の三神です。
例大祭は九月十五日で、その他文治三年(1187)に源頼朝により初めて行なわれた流鏑馬神事など、さまざまな祭礼が行われています。

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