2013年3月12日火曜日

江の島へ

東日本大震災から二年が経ったわけですが、いま書いている神奈川県周辺も、過去に数度の大きな地震被害に遭った土地でありました。
高徳院の項でも書きましたが、鎌倉大仏が露像になったのは明応七年(1498)八月二十五日に起きた大地震によるものといわれ、それに伴う津波で大仏殿や諸堂が流失し、二百余人が亡くなったといわれています。
高徳院は相模湾から約1㎞離れた場所にあり、明応の地震の後に起きた地震により多少の隆起はあると推測されるものの、海抜10m以上のところに位置しているのにもかかわらず、それだけ大きな被害に見舞われたわけです。

こうした事実は文献には残っているけれども、一般の人の識字率が低かったであろう時代には、どのようにして後世に伝えられたものでしょうか。
二年前の震災以降よく聞かれる言葉に、「大切なのは震災を忘れないことだ」というものがありますが、直接震災を経験した人、また間接にも見聞きした者には、忘れようにも忘れられないことであったでしょう。
たとえば各地に伝わる神話や民話などがそうなのですが、とある物事を直接知る者がいなくなり、ある経験談が語り継がれていくうちに変異して、虚構性を帯びていくのはよくあることです。
そうした物語を読んでいて、過去にあったであろう事柄をあれこれと推測することはできますが、物語というのは結局のところフィクションですから、時代が下るにつれ、現実感が乏しくなってしまうのはどうしようもありません。
だから、高徳院の資料などを読みつつ、直接震災を知る世代がいなくなった時、後世の子らに震災の教訓がうまく伝わるのかと、ふと心配になりました。
そうした意味では、事実をありのままに映す震災の映像が残されたのは、いい方は悪いかもしれませんが、ある意味では幸運なことなのかもしれません。
とはいえ、かの震災の映像を見るといまだに胸が苦しくなりますね。
改めて、先の震災で亡くなられた方々にお悔やみを申し上げます。

さて、それでは話を戻しますが、高徳院を出たあと、わたしはこの日の最終目的地である江の島へ向かいました。
高徳院の最寄駅である江ノ島電鉄長谷駅から同江ノ島駅までは6駅、時間にして約20分の行程です。


途中、映画『稲村ジェーン』の舞台になった稲村ケ崎というところがありますが、ここを通過すると視界が開け、海が見えてきます。
海岸線に沿ってまっすぐに伸びた道路と、それに並行して走る江ノ電。そして、だんだんと近づいてくる江の島。
それはそれは美しい光景で、うっかり海手側を背にして座る席に座ってしまったことをたいへん後悔しました。
とりわけ鎌倉高校前駅あたりの景色は本当にすばらしかったです。
次に行く時は、途中下車してもいいなと思いました。

江ノ島駅から江の島までは約1㎞ほど。


江の島弁天橋という橋を通って島へ渡ります。


伝説によると、むかし鎌倉の深沢村(江ノ島駅から北東に約4.5㎞)に大きな湖があり、そこに頭が五つある五頭竜という化け物が棲んでいました。
五頭竜は子どもが好物で、子どもをさらっては里人たちを困らせていました。
恐れおののいた村人たちは、子どもを外へ出さないようにしましたが、そのことに怒った五頭竜は鋭い爪で山崩れを起こし、大きな体を蛇のようにくねらせて洪水を起こし、五つの口から火の雨を吐き出して作物を焼きつくします。
村は次第に荒れはて、困りはてた村人たちは、くじ引きによって子どもたちを生贄に捧げることに決めました。
そんなある日、近くの海岸に異変が起こります。
波が高まり、無気味な海鳴りがしたかと思うと、突然、海水が空中高く吹き上がり、その下から一つの島が現れました。
この島が今の江の島です。
そして、水平線の彼方に紫雲がたなびき島に近づくと、やがて童女を従えた天女が妙なる楽の音にのって、島に下り立ちました。
これが江島神社の弁財天だといわれています。

この話は、龍口明神社(現鎌倉市腰越)の創建にまつわるものとしてもう少し続きますが、話が横道にそれるので、もうやめておきましょう。
以上のお話は、あくまで伝説上のものであり、実際には江の島は7~8万年前に姿を現し、その後隆起を重ねて今日に姿になったといわれています。
境川からの土砂の堆積により片瀬海岸とつながった陸繋島で、往昔より信仰の島であり、また景勝地でもありました。
現在は島全体が神奈川県の史跡・名勝に指定されています。

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