2013年3月15日金曜日

江島神社②辺津宮

辺津宮・中津宮・奥津宮の三宮を総称して江島神社と称しますが、三宮のうち、島に入ってはじめに見えてくるのが辺津宮(へつみや)です。
島の玄関口にあたり、江島神社の一番下に位置していることから「下の宮」とも呼ばれていました。


朱塗りの鳥居の近くには狛犬が一対。


ノートを忘れたため、石工名・建立年などのデータはとっていませんが、阿形と吽形とで少し造作が違うような気がします。
心なしか、石質も左右で少し違うような気がしないでもない。
今度ちゃんと調べてみようと思います。

境内はやや上りで、脚部の造形が龍宮城を連想させるような楼門(随心門)をくぐり、拝殿があるところまで階段を上っていきます。
歩かなくても上れるエスカーという乗り物もありますが、有料なので、よくよく考えてから乗るとよいです。わたしはケチなので乗りませんでした。


随心門の近くの壁には、弁財天のレリーフみたいなものもありました。


さて、石段を上ると、辺津宮の拝殿が見えてきます。


辺津宮は健永元年(1206)、源実朝の創建といわれています。
延宝三年(1675)に再建されたのち、昭和五十一年(1976)の大改修により現在の権現造の社殿が新築されました。
御祭神は田寸津比売命を祀っています。

辺津宮の拝殿左手に奉安殿という建物があり、この中に社宝の八臂弁財天御尊像(重要文化財)と妙音弁財天御尊像(裸弁天)が安置されています。
ちなみに奉安殿の中に入るには、拝観料150円が必要です。


八臂弁財天御尊像は鎌倉時代初期の作といわれ、源頼朝が奥州の藤原秀衡調伏祈願のため、 文覚上人に命じて造らせたものといわれています。
八本ある手にはそれぞれ武器を持っており、勝運守護の神様として武家から庶民にいたるまで広く崇敬を集めていたようです。
一方の妙音弁財天御尊像は鎌倉中期の作といわれ、手には琵琶を持ち、主に音楽芸能の上達を願う人々の崇敬を広く集めていました。
裸形であるゆえ、通称裸弁天とも呼ばれているようです。
中は撮影禁止になっているので写真はありませんが、どちらの弁財天像も有名なので、探せば画像はいくらでも見つかるだろうと思います。

わたしの江島神社訪問の目的の七割は、裸弁天を見るためだったといっても過言ではありませんが、まあ画像で見た通りの色っぽい弁天様でした。
陰部は見学者に見えぬように巧妙に布で隠されていますが、わざわざ布で隠さなければならないということは、要するにそういうことなのであります。
弁天様の観音様の部分(意味不明)は、秘仏(18禁)なのでございます。
隠されてあるものはかえって見たくなるのが道理ですが、角度を変えてみても、目を細めてみても、どうにもなるものではありません。
あんまり一箇所ばかりを見つめていてほかの人に怪しまれてもいけないので、ひと通り見えぬか試してみてから諦めました。
今にして思えば、なぜあんなに一所懸命に木像の恥部を見ようとしていたのか理解できません。

追記(2013年10月15日)
江島神社を再訪して辺津宮の狛犬の台座を調べたところ、建立年月は慶應元乙丑歳七月となっていました。

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