2013年3月20日水曜日

江島神社⑥龍宮・稚児ヶ淵

奥津宮のすぐ近くには、江島神社の末社である龍宮というのがあります。
御祭神は龍宮大神(龍神)で、社号の龍宮は「わだつみのみや」と読みます。
弁財天信仰と龍は密接な関係にあることから、氏子・崇敬者らによって江島神社境内に勧請されたものだそうです。
創建年代は不明ですが、そう古いものではないと思われます。


狛犬は一対ありました。


これも石工名・建立年代は調べていませんが、見た目的には江島神社内にあるものの中では最も新しく、タイプもあまり珍しくない岡崎現代型といわれるやつでした。

さて、龍宮を出て、いよいよ江島神社発祥の地とされる岩屋へ向かいます。
岩屋があるのは島の裏側の方で、風景が徐々に岩がちになってきました。


岩屋へ向かう道の途中に、稚児ヶ淵という場所があります。


名前からして過去に何かあったであろうことは明白ですが、ここにはとある僧と稚児の愛欲にまみれた悲話が伝わっています。
鎌倉時代のことといわれていますが、鎌倉の建長寺広徳庵に住む僧自休が弁財天に願を掛けに行った時、美しい稚児姿の少年をみそめました。
少年は鎌倉の相承院の稚児白菊といい、この日を境に自休の心はおおいに乱れ、白菊のことが脳裏を離れず、相承院に通いつめたといわれています。
白菊は自休の面会を拒みましたが、会えぬとなると、今度は毎日のように手紙を出し続けました。今でいうストーカーみたいなものです。
こうした自休の異常な恋慕に悩んだ白菊は、ある夜ひそかに江の島に渡り、
白菊を忍ぶ里の人とはば思ひ入江の島と答へよ
うき事を思ひ入江の島陰に捨つる命は波の下草
の辞世をのこして江の島南岸の淵に身を投じました。
そして、白菊の最期を知った自休はむせび泣き、
白菊の花の情の深き海に共に入江の島ぞ嬉しき
という歌を残して白菊の後を追いました。
以来、この淵を稚児ヶ淵と呼ぶようになったということです。

まあなんというか、あれですね。
女人禁制のかつての仏教界において、稚児(剃髪する前の少年僧)が男色の対象にされることがあったという話は聞きますが、女色はだめだけど男色ならOKという論理になるのがわたしにはよくわかりません。
女色も男色も、結局は同じ色欲なのではないかと思ってしまいます。
たぶん女性観が今とは違ったのだろうと思いますが、してみると、親鸞さんが妻をめとったのは、当時としてはたいへんなことであったに違いない。
なんにしても、生臭い話だなと思います。

稚児ヶ淵にそのような伝説があることを知ってか知らずか、今は若いカップルや釣り人が淵に降りて遊んだりしています。
そこはかつて、お稚児さんが身投げをして、その稚児に恋慕するお坊さんが後追い自殺をした場所なのですよと、今度淵で遊んでいる人がいたら言ってみてください。たぶん嫌がられます。

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