2013年3月30日土曜日

日光東照宮②三神庫・輪蔵堂ほか

表門を抜けると、上神庫・中神庫・下神庫からなる三神庫と、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿で有名な神厩舎、輪蔵堂、本地堂などがある場所に出ます。


写真があまりないので、この場所についてイザベラ・バードが書いた場面を引用してお茶を濁してみましょう。
整然と玉砂利の敷かれた内庭はあざやかな朱の板塀で囲んであり、それを取り囲むようにこの寺院の宝物が納めてある倉庫三棟、神が使うときに備えて飼ってある聖なるアルビノの馬三頭用の厩、素麺滝から給水される花崗岩の堂々たる水盤、仏教の経典完全一式が納めてあるびっしりと装飾を施した建物があります。ここから石段を上がると、前より小さな内庭に入り、そこには「驚くべき細工と装飾」の鐘楼、同じように同じ鼓楼、社、前に触れた枝つき燭台、鐘、燈籠、そして非常に大きな青銅製の燈籠が何基かあります。
こちらは三神庫です。
寛永大造替の際に建立されたもので、イザベラ・バードも触れているように、中には例祭で使用される馬具や装束、宝物などが収められているそうです。


建物は国指定重要文化財。上神庫の屋根の下には狩野探幽が下絵を書いたという「想像の象」の彫刻が施されています。
象は蔵との語呂合わせで、地上最大の動物であることから、聖域の守護神として彫刻に用いられることがあるのだということです。
神社建築の木鼻などの装飾でお馴染みですね。
実際に象がいたインドから伝わった仏教とともに、早くからその存在は知られていましたが、日本には象がいなかったので(ナウマン象は除く)、伝播の過程で架空性を帯びた霊獣のようなものに変化していきました。
想像の象というのは、そうした霊獣的な性質を持つ象のことでありましょう。
ちなみに、実物の象がはじめて日本にやってきたのは応永十五年(1408)。足利将軍への進物として若狭国に上陸したのが最初だそうです。
次は享保十三年(1728)、徳川吉宗の時代で、この時は長崎の出島に二頭の象が上陸し、その翌年、雄の一頭(もう一頭の雌は上陸後まもなく死亡)が約三ヶ月をかけて徒歩で江戸に到着しています。

こちらは輪蔵堂です。
イザベラ・バードが言うところの、「仏教の経典完全一式が納めてあるびっしりと装飾を施した建物」とは、これのことであります。


輪蔵堂内部には、天海版の一切経1456部6325巻が納められた八角形の回転式書架(輪蔵)があり、これを一回転させることによって、お経を読んだのと同じ功徳が得られるとされていたそうです。
建物は国指定重要文化財で、寛永大造替の際に建立されました。

また、バード女史は触れていませんが、石段を上がった先の内庭には、本地堂というものもありました。
本地堂には東照大権現の本地仏であるとされる薬師如来が本尊として祀られております。それにちなみ、別名薬師堂とも呼ばれていたそうです。
創建は元和三年(1617)で、その後寛永大造替の時に再建されました。
建物は国指定の重要文化財。昭和三十六年に火災によって一度焼失していますが、その後再建されています。
建物内部の天井には、狩野派の絵師が描いたという約8mの竜の絵があり、その竜の顔の下で拍子木を打つと、「コロロロロ…」と鈴を転がしたような音が聞こえました。いわゆる鳴き竜というやつです。
内部は撮影禁止だったので、写真は撮れませんでしたが、うっかりして建物の外観も撮り忘れてしまいました。

なお、輪蔵堂・本地堂は東照宮の境内にありますが、同社の所有というわけではなく、輪王寺との間でその帰属をめぐって係争中であるとの由。
明治の神仏分離の混乱がいまだに尾を引いているのであります。

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