2013年4月1日月曜日

日光東照宮③神厩舎・三猿ほか

こちらは神厩舎です。


御神馬を飼育するところで、やはり寛永大造替の際に建立されたものです。
いちいち説明するのが面倒になったので言ってしまいますが、ようするに現在の東照宮境内にある建物のほとんどが、寛永大造替の際に建立されたものなのであります。
建物は国の重要文化財。長押の上には、有名な見ざる・言わざる・聞かざるの三猿のほか、左甚五郎作と伝えられる全八面の彫刻が施されています。
これは猿の一生に仮託して、人の生き方を示したものだということです。

一枚目は人生のはじまりを表しています。
母猿が見つめる先は子の将来で、その様子を子猿が安心しきった顔で見つめています。


二枚目は幼少期です。
「見ざる・言わざる・聞かざる」には、子どものうちは悪いことを見せない・言わせない・聞かせないようにせよという教訓が含まれているそうです。


三枚目は猿が一匹のみ描かれ、独り立ちの直前を表しています。
表情はどこか不安げで、まだ腰を上げることができません。


四枚目は青年期です。
天を仰ぎ見るのは向上心の現れ、青い雲は「青雲の志」を表しています。


五枚目は挫折と苦悩が描かれています。
が、それを気にかけ慰めてくれる友の姿があります。


六枚目は物思いにふける猿と、そこから去っていく猿が描かれています。
恋に苦悩する様子が表現されているといわれています。


七枚目は結婚です。
つがいになった二匹が、共に荒波を乗り越えていく様が描かれています。


八枚目にはお腹の大きな猿が描かれています。
子猿も成長してやがて子を産み、一枚目の状態に戻る。
そしてまた同じことが繰り返されるのであります。


厩に猿を描くのは、古来、中国では猿が馬を病気から守ると信じられてきたからで、実際に厩の中に猿を繋いだりする風習が日本にもあったようです。
猿が馬を病気から守るとの信仰は、陰陽五行説に基づくものだといいます。
すなわち、十二支を五行にあてはめた場合、猿は水、馬は火に相応しているということから、水は火を守るものという信仰が生まれたということのようです。
また、それと同時に火伏の意味があったともいわれています。

一方、南方熊楠の『十二支考』によると、「和漢とも本(もと)邪視を避くるため猴を厩に置き、馬を睨むものの眼毒を種々走り廻る猿の方へ転じて力抜けせしめる企みだったのだ。また疥癬を去るとあるより推すに、馬の毛に付いた虫や卵を猴が取って馬を安んずるのかも知れぬ」とのことで、また、その起源はインドのハヌマーン神であるとも言っていました。
ハヌマーン神は『西遊記』の孫悟空のモデルであるともいわれていますが、なるほどたしかに、数々の乱暴狼藉により天界を騒がせたかどで玉帝(天帝)の前に連れて行かれた際、罰として命じられたのが弼馬温(ひっぱおん)という天界の厩の番人であったななどと、ひとり合点がいったものです。

なにはともあれ、信仰上、猿と馬は親和性の高い生き物なのであります。
また上記の理由とは別に、東照宮の神厩舎に猿が彫られているのは、山王神の神使が猿であることとも少しは関係があるのかもしれません。

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