2013年4月22日月曜日

宇都宮散策②宇都宮城

善願寺の近くの、いちょう通りという大きな通りを西に少し行き、宇都宮中央郵便局がある十字路を左に折れると、まもなく宇都宮城址公園が見えてきます。


宇都宮城の築城年は一説に天慶三年(940)。藤原秀郷が池辺郷田中邑(現本丸跡)に別館を築き、のち康平六年(1063)に宇都宮氏の祖、藤原宗円が本格的な居館を築いたことにはじまると伝えられています。
慶長二年(1597)の宇都宮氏改易後は、宇都宮藩の藩庁所在地となり、北方勢力に対する防衛拠点として、また日光社参の将軍の通り道、宿泊拠点として、城と城下町の整備が進められました。

歴代城主は慶長三年蒲生秀行、同六年奥平家昌、元和五年(1619)本多正純、同八年奥平忠昌、寛文八年(1668)松平忠弘、天和元年(1681)本多忠平、貞享二年(1685)奥平昌章、元禄十年(1697)阿倍正邦、宝永七年(1710)戸田忠真、寛延二年(1749)松平忠祇、安永三年(1774)戸田忠寛など。
宇都宮氏支配の時代までは中世城郭でありましたが、慶長三年に当地に入植した蒲生氏によって城の改修がはじまり、その後天和五年(1619)に宇都宮城主となった本多正純の大改修によって、江戸時代末に至るまでの宇都宮城(近世城郭)の姿が完成されたといわれています。
正純は、これまでの城域を二倍以上に広げ、土塁・濠・櫓などを造成、また町割りを新たにし、街道や寺社の整備を行うなどして城郭の防衛力を高めました。
この時の町割りが、今日の宇都宮市の基礎になっています。

宇都宮城はその後戊辰戦争の舞台となり、慶長四年(1868)四月十九日に旧幕府軍による攻撃を受け(※宇都宮藩は新政府軍についた)、焼失しました。
その後、新政府側が城の奪還に成功し、戊辰戦争後は陸軍の駐屯地として利用されたのち、明治二十三年(1890)に城郭一帯が民間に払い下げとなり、その跡地は宇都宮城址公園として整備されました。
戦災やその後の再開発で、往時の遺構はほとんど残っていませんが、本丸の土塁や堀、櫓など一部の建物が復元されています。

0 件のコメント: