2013年4月9日火曜日

日光東照宮⑧奥宮

奥宮は家康の御遺体が安置されているといわれる場所であります。
家康の遺言は「御体をば久能へ納、御葬礼をば増上寺にて申付、御位牌をば三川の大樹寺に立、一周忌を過候て以後、日光山に小キ堂をたて勧請し候へ」というもので、これを素直に受け止めるならば、遺体は久能山へ安置し、神霊を日光山に勧請せよということだと思われるのですが、なぜか御遺体ごと日光山に安置されることとなったようです。

奥宮について、イザベラ・バードはこのように書いていました。
二四〇段の石段を上った山頂の、彼をたたえて建立されたすべての堂々たる社殿を遠くから見下ろす場所に家康の遺骸は眠っています。墓の装飾はないものの、巨石を積んだ上に青銅製の宝塔が載っています。正面には石の台があり、青銅製の香炉、真鍮製の蓮の花と葉を挿した花瓶、口に青銅製の蝋燭をくわえた鶴の装飾が施されています。欄干のついた高い石塀がこの簡素にして堂々たる墓所を取り囲んでいます。また山の裏手に生えている杉の大木のおかげで、あたりはつねにほの暗くなっています。この林は傾いた日差ししか透さず、まや一輪の花も咲いていませんし、鳥のさえずりもありません。静寂と哀惜が日本の生んだ最も手腕があり最も偉大な人物の墓所を包んでいるばかりです。
描写については、これ以上付け足す必要はないと思われるので、あとは写真を見ながらぼちぼち細かい説明を加えていきましょう。

まず、こちらが奥宮の拝殿です。


参拝のための施設で、将軍以外は昇段はできませんでした。
本社の豪奢な社殿などに比べると質素に見えますが、そのために厳かな雰囲気が醸し出されています。

拝殿の手前にある石段の脇には狛犬も安置されていました。


阿形が角なしの獅子、吽形は角ありの狛犬であります。
この獅子・狛犬は、徳川家康の遺臣である松平右門大夫正綱・秋元但馬守泰朝が寄進したもので、寛永年間に当宮造営の功により、特別に奉納を許されたものだといわれています。
が、どっちがどっちを奉納したものかはわかりません。

拝殿と奥宮宝塔(家康公墓所)の間には、鋳抜門があります。


鋳抜門は慶安三年(1650)の造立。椎名伊豫の作といわれています。
青銅製で、屋根・柱・壁と別々に鋳造したものを組み立てて造ったそうです。

この奥に、宝塔があります。


宝塔は青銅製。建立当初は木造であったそうですが、寛永十八年(1641)に石造の巨大な宝塔に造替され、さらにのち五代将軍綱吉公の頃に、現在の青銅製のものに建て替えられたといわれています。
墓石のかわりに宝塔を建てるのは徳川家特有の埋葬法で、寛永寺や増上寺など、ほかの歴代将軍の墓所でも同様の埋葬法を見ることができます。
が、東照宮以外の霊廟は、ほとんどが非公開になっています。

奥宮の拝殿、鋳抜門ならびに宝塔はすべて重要文化財です。

0 件のコメント: