2013年5月19日日曜日

本龍山西光寺(野辺地町寺ノ沢)

さてそれでは、先々週に行った岩木山神社のことについて書こうかなと思いましたが、まだ資料が読み終わらないので、先に野辺地の社寺について書きます。
今日は野辺地町字寺ノ沢にある浄土真宗のお寺、西光寺です。
野辺地に桜を見に行った時の記事ではサラッと流してしまったので、まずはこのお寺について、きちんと書くことにいたしましょう。

西光寺は浄土真宗大谷派の寺院で、本尊は阿弥陀如来。
京都東本願寺の末寺で、山号は本龍山と称します。
寺伝によると、創建は天正年間(1573~1591)で、越前国から移り住んだ浪人飯田願正(釈浄玄)が当地に草庵を結んだことにはじまるといわれています。
慶長十三年(1613)に京都東本山より寺号を与えられ、本尊安置の許可を得、のち元禄十四年(1701)に本堂が建立されたということです。
創建当初に建立された堂宇は、のち天保十三年(1842)の大火で焼失してしまいますが、嘉永四年(1851)に現本堂となる堂宇が再建されました。
本堂再建には、越中・加賀・越前・大坂・松前など広範な地域の人びとが奉賛したといわれ、野辺地が北前船の重要な寄港地であったことをうかがわせます。
檀家には真宗の信徒が多かった越前や越後からの移住者が多かったそうですが、これは野辺地と同様に古い湊町であった油川の事情とよく似ています。

境内にある青森県指定文化財のシダレザクラは、西光寺の檀家で、廻船問屋を営んでいたヤマイチ(屋号)野坂家の当主勘左衛門という者が延享二年(1745)に大坂から取り寄せ、植樹したものだといわれています。
いずれの時代か定かではありませんが、この木は一時花が咲かなくなったので、当時の住職が桜を伐採しようとしたところ、桜の精が住職の夢枕に立ち、再び花を咲かせるので、どうか木を伐らないようにと哀願し、その翌年からまた花を咲かせるようになったという言い伝えが残っているそうです。
明治時代にこの地を訪れた大塚松洲(岩手県一関の人)という人は、この話を聞いて、次のような漢詩を残しています。

「題本龍山西光寺畔桜」
老桜元是有因縁
百年免得樵翁斧
春風千枝爛漫時
幽香偏向仏前吐
但怕鐘磬声相振
清浄境裏動花神

境内にあった案内板によると、訳はこうです。
西光寺の枝垂桜の老樹は、樵の斧によって切り倒されることなく、百年の樹齢を重ねてきたが、これも何かの因縁によるものであろう。
春風にうながされて花が咲きそろい、ほのかな香りが仏前にただよってくる。
釣鐘や磬の音が境内に響き渡れば、花の精も、はっと夢からさめることだ。
(通訳、八戸工業高等専門学校名誉教授 四戸俊一)

せっかく目覚めた花の精ですが、今年みたいに花芽を鳥に食べられてしまってはどうしようもありませんね。来年は咲くといいのですが。

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