2013年5月28日火曜日

椿山(夏泊半島)②

さてそれでは椿山に入ります。


椿神社境内地の左手に、現在は閉業している土産物店の廃屋があり、その駐車場の一角が椿山へ入る遊歩道の入口になっています。(上の写真の星印のあたりが入口です)


そんなに歩ける範囲は広くないので、15分もあれば往復できました。

ツバキの木には実もなっております。
この実からツバキ油が精製されるのですね。


そして、
♪ ヨービュリホー、ヨービュリホー
のCMでおなじみの、あのシャンプーができるというわけです。

実はわたしが山に入る前に、バスで乗り付けた十数名ほどの団体客が先に遊歩道に入っていて、引き返してくるところに行き当たったのですが、この団体客のうち数名が椿の実を手折って持ち帰ろうとしているのを目にしました。
あかんで、それは天然記念物やで。
と言いたかったのですが、年寄りに注意をするのは気の弱いわたしには難しいので、冷ややかな目でその行為をじっと見つめただけで終わってしまいました。
いちおうわたくしなりの消極的な非難のつもりでしたが、そんなことをしたところで、椿山のツバキが天然記念物で、それを手折ったりしてはならぬということを相手が認識していなければ、なんの意味もありません。
ああ、わたしに出木杉君のような正義感があれば。
山口県にある秋芳洞(国の特別天然記念物、ラムサール条約締結)の鍾乳石を削って持ち帰り、自慢したジャイアンに対して「な、なんてことをするんだ!!」といって激昂した出木杉君(出典:『ドラえもん』44巻)のような正義感があれば。

椿山のツバキは村の娘、玉女と越前の商人横峰嘉平の約束の品であります。
これも前に書いたことがあるので、今はその伝説の概要のみを記します。
村の娘玉女と船乗りの嘉平が恋に落ち、夫婦の契りを交わしますが、嘉平は一時国元に帰らなければならなくなり、再会を期して二人は別れました。
嘉平は次に来る時は椿の実(玉女が欲しいと望んだもの)を持ってくると玉女に約束しましたが、その後何年経っても嘉平が戻ってこないので、恋慕のあまり玉女は海に身を投げて死んでしまいました。
それから三年が経って、嘉平が椿の実を携えてやってきましたが、夫婦の契りを結んだ娘はすでに冷たくなって墓の下に埋まっています。
嘉平は嘆き悲しみ、玉女の墓の周りに椿の実を埋めました。
それが今の椿山であるというのです。

このお話は菅江真澄「つがろのおく」の寛政七年(1795)三月二十六日の条に採録されているものですが、同書には、もし椿山の花を手折る者があれば「きよげなる女あらはれて、花な折そ」と恨めしげに言うとあります。
椿山は椿神社創建に関わるところで、おそらくかつては神域であったと思われるので、花を折ると玉女のお化けが出るよというような話をすることで、神域の花を傷付けることを戒めたものではないでしょうか。
なんにしても、椿山のツバキは今は天然記念物に指定されているので、花を手折ることはもちろんのこと、許可なしに実を採集することも禁じられています。
とりあえず、この点を周知させねばなりません。ならぬことはならぬものです。

さて、椿山の遊歩道は、先ほども述べた通り15分程度で見終わります。
しかし、バスの本数が少なく、帰りのバスの時刻までかなり余裕があったので、わたしは辺りを少し散策してみることにしました。


この辺りは「日本の渚百選」にも選ばれているとかで、なかなかいいところです。
ほかに「渚百選」に選ばれている浄土ヶ浜や東尋坊などに比べると、普通の浜のように見えるかもしれませんが、やはりこういうナントカ百選に選ばれたる理由は、北限のツバキによるところが大きいのではないかと思います。

海岸には菅江真澄の石碑もありました。

影おつる 磯山椿 紅に
染めて 汐瀬の 波の色こき
さきほどの「つがろのおく」の寛政七年(1795)三月二十六日の条、椿山のくだりは、真澄のこの歌で締められています。

ひととおり散策したあとも、一時間ばかり時間が余ってしまったので、西田沢漁港まで歩いて無駄に写真を撮って遊びましたが、その話はいいですね。


やがてバスがやってきたので、例の紅白の縞々のバスに乗って帰りました。


帰りのバスは貸切状態でした。
バスで帰る途中、よさそうな場所があったので、今度は自転車で行ってみようと思いました。

1 件のコメント:

(´・ω・`) さんのコメント...

椿山地区へのアプローチは、昨年供用開始したバイパスにより、青森市側からでも楽になりましたね
100~200円で行ける町内バスがあるのかあ~