2013年6月20日木曜日

岩木山神社③由緒(1)

さて、これまで岩木山神社創建にまつわる伝説をいくつか紹介してきましたが、かえってとっ散らかってしまった感がありますね。
わたしは岩木山の伝説をおおまかに六つにまとめましたが、古神道(原始神道)や神道、仏教や民間伝承やその他もろもろの要素が複雑にからんでおり、岩木山信仰の実態を探ることはなかなか難しいのであります。
面倒くさくなりそうだったので、書かなかったり端折ったりした話もあります。
先日も触れたとおり、岩木山山麓に縄文時代の遺跡があることから、岩木山周辺にそうとう古くから人が住んでいたことはわかっております。
当時の人々が、岩木山をどのように見ていたのかはわかりませんが、記紀神話以前の古神道(原始神道)では、巨石や山は神が降臨するところとみなされ信仰の対象とされていたので(磐座信仰)、岩木山も古くから信仰の対象にされてきたと考えてみても、なんら不思議ではありません。
岩木山西北方の田舎館村にある垂柳遺跡の発掘調査から、津軽では弥生時代にはすでに水田耕作が行われていた可能性が指摘されていますが、それと同時に文化の流入もあっただろうと思われます。
これはあくまで推測ですが、もともと岩木山に対するなんらかの信仰があったところに、水耕技術やのちには製鉄技術などがもたらされ、同時にさまざまな宗教観がもたらされて、現在に伝わる多面的な岩木山の信仰を形づくっていったのだと思います。

岩木山神社の神社としての体裁は、藩政期に津軽氏によってほぼ現在の形に整理されたのですが、それ以前については資料が乏しいので実態があまりよくわかっていません。
が、どうやら中世には行者などが当地に入り込んで、神仏混淆した祭祀が執り行われていたものと考えられています。
岩木山北西側の山麓にある鰺ヶ沢町の大館森山遺跡からは、平安時代のものと思われる製鉄遺跡(たたら場)の跡が見つかっており、その頃、製鉄技術を持った技術者が津軽にいたことを示しています。
この製鉄技術者というのはおそらく土着の者ではなく外部の人間で、そうした人たちを連れてきたのがたぶん修験者なのです(修験者は宗教者であると同時に山師(鉱山師)でもあったから)。
そうした山に暮らす鉱山師や製鉄技術者の存在は、赤倉岳の鬼(大人)の伝説などによってほのかに暗示されています。
鬼というのは異質なものであるから、あるいは外国人技術者なんかもいたかもしれませんね。わかりませんが。
鉄にまつわる神話として素戔鳴命の八岐大蛇退治がよく知られていますが、これは出雲神話と呼ばれる神話群に属すもので、また阿曾部(岩木山)に降臨したという大己貴命(大国主命)も出雲族の神様ですから、やはり岩木山信仰と鉱山開発の間には何らかの関連がありそうです。
修験道にも本山派や羽黒派などいくつか宗派があるようですが、数字の三に関係する伝説が多いことから、熊野三所権現、すなわち熊野修験の影響が大きかったことがうかがえます。
岩木山にはちょうど岩木山・巌鬼山・鳥海山と三つの峰がありますから、熊野三山の形式をそのまま岩木山に流用することは容易であっただろうと思います。

岩木山神社創建に関わる伝説の一つに、坂上田村麻呂が岩木山中の悪鬼を征討せしめたのち、松代(現鯵ヶ沢町)に鳥海山永平寺景光院、長(現弘前市十腰内)に巌鬼山西方寺観音院、百沢(現弘前市百沢)に岩木山百澤寺光明院を建立したというものがあります。
百沢寺というのは、神仏分離令が発布されるまで岩木三所権現の別当院だったところですが、同寺の縁起によると、中央の岩木山に阿弥陀、左峰の巌鬼山に観音、右峰の鳥海山に薬師を配置し、これら三仏を以てを岩木山三所大権現としたということが記されています。
ただし巌鬼山には、元は十一面観音を祀っていたともいわれています。
三仏はそれぞれ阿弥陀が岩木山百沢寺に、観音が巌木山西方寺に、薬師が鳥海山永平寺に本尊として安置され、信仰されてきました。
また先の伝説編で、頂上に磐椅宮を建てて国常立命・大元命・国安珠姫の三神を祀り、以てこれを津軽一の宮と称したという話を載せましたが、往昔は神仏混淆して祀られていたので、仏体を祀る一方で、その垂迹神である神道の神様が祀られてきたのであります。

まとめるとこうなります。

①中央の峰(岩木山):阿弥陀如来(本地)=国常立命(垂迹)
 岩木山百沢寺光明院(岩木町百沢)→現岩木山神社
②左の峰(巌鬼山):観音菩薩または十一面観音(本地)=国安珠姫(垂迹)
 巌鬼山西方寺観音院(弘前市十腰内)→現巌鬼山神社
③右の峰(鳥海山):薬師如来(本地)=大元命(垂迹)※大己貴命と同体
 鳥海山永平寺景光院(鯵ヶ沢町)→不明

一方で、延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂が岩木山頂に奥宮本宮を建立し、北麓(十腰内)に下居宮を建立したという、神宮に関する由緒もあります。
岩木山山内は本来禁足地であったので、下居宮は奥宮本宮に対する平素の祭祀場として、岩木山北麓の十腰内に創立せられました。
岩木山に登拝する者で、この社から山頂に向かう者に怪異が相次いだため、ある時、祈願をしてもらうことになったそうです。
その時の神託により、寛治五年(1091)百の沢を越えて岩木山南麓に寺院を移し、それに因んで百沢寺と称しました。これがのちの岩木山神社であります。
また、元の下居宮のあったところは本尊観世音菩薩(十一面観音とも)を祀り、巌鬼山西方寺観音院として明治の頃まで奉祭されていましたが、のち神仏分離令により仏体を排し、巌鬼山神社と改められました。
すなわち、下居宮は岩木山神社・巌鬼山神社、二社の前身であるということになります。

まとめるとこうです。

①岩木山頂上:奥宮
②岩木山山麓:下居宮―→巌鬼山西方寺観音院→巌鬼山神社(十腰内)
               ↓
               ↓移転
               ↓
              岩木山百沢寺光明院→岩木山神社(百沢)

これら二つの神宮に関するものと、先の三つの寺院に関する由緒は、その後の神仏分離によって今では一見、繋がりを断たれているようにもみえますが、かつては神仏混淆した祭祀が行われていたので、寺院も神宮も特に矛盾することもなく同時に信仰されてきました。
岩木山三所大権現というのは、岩木山の三つの峰に坐す三仏(=三神)と、それらを祀る社寺を包括した広範な信仰の総称であり、その中心が現在でいうところの岩木山神社だったのであります。

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