2013年6月23日日曜日

岩木山神社⑥社殿(2)

岩木山神社拝殿は、天正十七年(1589)の岩木山噴火よって百沢寺が焼失したのち、慶長八年(1603)に津軽為信によって再建されたものであります。
元は百沢寺の大堂(本堂)として起工し、三代信義の代に至ってようやく完成し、寛永十七年(1640)に入仏供養会が行われたといわれています。


桁行・梁間ともに五間の入母屋造。屋根は栩葺型銅板葺で、正面に千鳥破風が付き、そこから一間の向拝が突き出しています。
長勝寺に保存されている慶長八年の棟札によると、大工や鍛冶職人に越前や丹波の工人が名を連ね、大堂再建のために津軽氏が全国から職人を招聘したことがわかっています。
外部・内部ともに弁柄塗りですが、彫刻や蟇股には極彩色がみられる。
もともと百沢寺の大堂として建立されたものであるため、内陣・外陣や須弥壇や厨子などを備えていましたが、明治初年の神仏分離令をうけて密教寺院本堂の建築様式から神社拝殿の建築様式に改められました。
拝殿は国の重要文化財です。

拝殿で参拝を済ませたのち、いったん中門の外に出て、垣伝いに本殿の方に回ってみました。


見づらいですが、黒っぽい本殿と、その手前に奥門があります。
奥門・本殿ともに国の重要文化財です。


本殿、奥門とそれらを囲う瑞垣、それに中門などは、四代津軽信政が貞享三年(1686)から約八年の歳月をかけて建立したもので、元は下居宮といいました。
奥門は一間一戸の向唐門の形式。本殿は三間社流造で正面に千鳥破風と軒唐破風を付けた形式であるそうです。
奥門・本殿ともに柱や梁、壁や扉などは黒漆塗りとし、随所に金箔を押し、彫刻には極彩色を施し、金鍍金の飾金具を付けて装飾しています。
これは、日光東照宮に範をとったものだといわれています。

岩木山神社社殿については以上の通りです。
最後に、楼門の少し手前あたり、参道の右手にあった岩木山神社の社務所について少し説明します。


現在、岩木山神社社務所として使われている建物は、旧百沢寺の本坊として山門(楼門)などとともに寛永六年(1629)に建立されたものであります。
天保十年(1839)に火災にあい焼失しますが、その後、弘化四年(1847)に現在のものに建て替えられました。
明治の神仏分離令に際し、百沢寺は廃寺。本坊は岩木山神社の社務所として利用されるために若干の改造は受けていますが、入母屋造・茅葺屋根の景観は、往昔の百沢寺の姿を偲ばせています。


岩木山神社社務所は県重宝。
今冬の豪雪により屋根の一部が破損したとのことで、神札授与所で修理のための募金を募っておりました。
一刻も早い回復が望まれるところです。

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