2013年6月2日日曜日

水神宮(野辺地町字野辺地)

豊漁稲荷神社から西へ200~300mほど行った路地の中の小丘上に、水神宮(龍神宮)という水神を祀る神社があります。
創建は文化五年(1808)。松前領箱館の商人高田屋嘉兵衛が施主、当町の大工五十嵐彦兵衛が世話人をつとめ、勧請したものであるといわれています。

当社の創建については、このような伝承が残されています。
その昔、この付近には合船場(造船所)があって、船材は水神宮の下にあった池(現存せず)で湿したものを使っていました。
この水は造船のほか、北前船の飲料水にも使われた水であったといいます。
ある時、大工の彦兵衛は高田屋嘉兵衛の船の造船を請負い工事を進めますが、池の水を使いすぎたために、水が涸れてしまいました。
そんなある日の夜のこと、水神が嘉兵衛の夢枕に立ちました。
水神は何もいわず、ただ恨めしそうに嘉兵衛を見つめています。
ハッと目を覚ました嘉兵衛は合船場の清水に思いを致し、急いで彦兵衛に水神のお社をつくらせ、水神を祀りました。
するとたちどころに清水が湧きだし、元の状態に戻りました。
これが水神宮のおこりであるということです。

例祭日は、嘉兵衛が水神を勧請したという七月十一日。
祭神は現在は水波能売命ですが、昔は水天や龍神と考えられていたようです。
当社の祭神にちなみ、商売を始める人がこの清水で元手の銭を洗うと倍に増えるという銭洗いの信仰や、雨乞いの信仰があったといわれています。
また、「水が変わっても無事」であるということから、当社は出稼ぎの者に加護があると信じられてもいたそうです。
なお、御祭神は大正年間以降は高田屋嘉兵衛も併せ祀っています。


先述の通り、合船場近くにあった池はすでに無くなっているのですが、参道の階段右手には水神を祀ったのちに湧き出したという清水があります。


この水は野辺地の三銘水の一つ(残りは愛宕公園の御膳水と鳴沢地区の湧水か)に数えられ、今は廃れているそうですが、かつては元旦にこの清水から取った若水を八幡宮に供える習慣があったということです。

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