2013年6月30日日曜日

岩木山求聞寺

求聞寺の境内の様子は、ざっとこんな感じです。


当寺は寛永二年(1625)、弘前藩二代津軽信枚が津軽家の安泰と子孫長久、国土豊饒などを祈願し、真言宗の虚空蔵求聞持法という修法を行ったことにはじまるといわれ、祈願成就した寛永六年(1629)、百沢寺境内の森に宝瓶を埋め、その上に虚空蔵堂を建立したのがはじまりであるといわれています。
明治四年(1871)に廃寺となった岩木山百沢寺の流れを汲み、山号は百沢寺と同じ岩木山で、寺号は虚空蔵求聞持法から取られています。
その後、明治八年(1875)に廃仏毀釈に際して寺領を奉還し、廃寺。
翌九年に不審火により堂宇が焼失しますが、同十二年に愛宕山橋雲寺(弘前市愛宕山下63)の宗徒であった斎藤法善和尚が焼け跡に小さな庵を結び、のち明治二十六年に至って本堂が再建されました。
これにより、求聞寺では斎藤法善和尚を中興開山としています。
明治三十九年(1906)、中興二世到善和尚が子どもの頃に、寺内から虚空蔵堂建立の際に地鎮に用いたと思われる銅製の宝瓶を発見していますが、それには「篤信之檀主津軽越中守藤原朝臣信枚、君臣和合而寿福増長子孫繁昌国土豊饒矣、時寛永六載己巳首夏吉祥日」と銘刻されていたということです。

真言宗智山派。本尊虚空蔵菩薩。
求聞寺は丑・寅年生まれの一代様といわれ、広く崇敬を集めておりますが、これは虚空蔵菩薩が丑・寅年生まれの人の守り本尊であるからであります。
また、先に書いた通り、当寺は津軽三十三観音の第三番札所としても知られており、篤く信仰されています。

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