2013年6月4日火曜日

野辺地の常夜燈

これまで主に野辺地の社寺などをとり上げてきましたが、今回の記事で野辺地町のご紹介はおしまいになります。
最後にとり上げるのは、浜町の常夜燈です。

浜町の常夜燈は海上の安全を守るために灯台の役割を果たした石燈籠で、海運の町であった往昔の野辺地の姿を今日に伝えるものであります。
現存する石製の常夜燈としては最古の部類に属し、野辺地町指定文化財。
野辺地駅に降り立つと、まずこの常夜燈のレプリカが駅前のロータリーの一画にあるのが目に入りますが、まさにこの町のシンボルといっても過言ではないものなのであります。


常夜燈は、野辺地町字野辺地の野辺地町漁業協同組合の隣、今は常夜燈公園として整備されている敷地の一画にありました。


この常夜燈は、野辺地町の廻船問屋野村治三郎が文政十年(1827)に建立したもので、関西の商人橘屋吉五郎の協力により海路運ばれてきたものだといわれています。

燈籠の竿部分には、南側から順に時計回りに「常夜燈」「文政十丁亥歳」「金毘羅大権現」「正月吉良日」の文字があり、さらに金毘羅大権現と書かれた面の基壇部分には、施主野村治三郎と世話人の橘屋吉五郎の名前が見えます。


石燈籠には、金毘羅様の御縁日である旧暦三月十日から十月十日までの間、毎日灯が灯され、海上安全のための灯台の役割を果たしました。
石燈籠に火をともす役目は、浜町在住の南部藩の刀鍛冶であった三国家の者が代々つとめ、それが明治三十年代頃まで続けられたといいます。
油は白絞油(菜種油)、燈心にはカタン糸(木綿)を用い、火袋(火を入れるところ)の南北には茜染の木綿を張って、赤い光を辺りに発しました。
明かりは弱かったけれども、街灯がない時代だったので、沖合からもよく見えたといわれています。

石燈籠を建立した野村治三郎は廻船問屋を営む豪商で、この家の当主は代々治三郎の名前を世襲しました。
家訓の「救民施与」を受け継ぎ、窮民に手を差し伸べ、明治三十三年に伝染病が流行した時は、町に数百万円を寄付するとともに、蔵を開放して住民に米二十石を施与。さらに同三十五年の大凶荒の時にも、窮民援助のため義援金など寄付するなどした、たいへん徳が高い一族であります。
俗っぽい言い方にはなりますが、本物の金持ちってこうなのよね。成金とは違うのです。

野辺地町役場の隣には、野村治三郎家の離れが残されています。
明治九年(1876)に明治天皇の行幸にあたり治三郎が建てられたもので、行幸の際の天皇の宿泊所(行在所)として使われました。
また、のち同十四年の行幸の際にもこの離れは行在所に指定されています。
その後、明治二十三年の野辺地町全町大火により焼失しましたが、ほどなく同形式で再建。平成二十年には国の登録有形文化財に指定されています。


明治天皇は庭の石燈籠に火が灯される様子をいたくお気に召したとか。
常夜燈公園からは1.5㎞ほど離れているので、遠いといえば遠いのですが、お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。

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