2013年7月7日日曜日

高照神社②社殿

先日の由緒の項でも触れましたが、高照神社は正徳元年(1711)弘前藩四代藩主津軽信政の廟所として創建せられ、以来、歴代藩主らの崇敬を受けて、社殿の造営および境内の整備がなされてきました。
社殿配置は鳥居・随神門・拝殿・幣殿・廊下・中門・本殿・津軽信政公廟所・信政公墓所というふうに東西一直線上に並ぶ、独特の配置となっています。
これは信政公が信奉していた吉川神道の考えに基づいて構成されたものだそうで、全国的にも非常に珍しい社殿配置となっているそうです。
また社殿は会津の保科正之を祀る土津神社に範をとった準権現造で、江戸時代中期の神社建築の特徴をよく現していることから、平成十八年七月には本殿をはじめとする建物八棟(本殿附宮殿・中門・西軒廊・東軒廊・拝殿及び幣殿附棟札1枚・随神門附高塀2棟・廟所拝殿・廟所門)および津軽信政公墓(拝墓)・津軽信政公墓(本墓)が国の重要文化財に指定されています。

それではまずは、社殿を正面から順に見ていきたいと思います。
高照神社の社殿配置は、案内板によるとこのようになっています。


神社正面にある朱塗りの一の鳥居、石製の二の鳥居をくぐり、神橋を渡ってまた朱塗りの三の鳥居とくぐっていくと、やがて随神門が見えてきます。


随神門は文化七年(1801)、九代藩主寧親によって拝殿とよく似た構造手法により建立されたものだといわれています。
青森県内では珍しい三間一戸の八脚門という形式で造られており、屋根は切妻造の平入、銅板葺となっています。
また外装は、岩木山神社楼門などと同じ弁柄塗りで仕上げられています。


随神門を抜けると、四の鳥居があり、その奥に拝殿が見えてきます。
四の鳥居は壊れていますが、これは今年度の大雪により破損したものです。


拝殿は桁行五間・梁間三間の入母屋造。屋根は杮葺で、正面には千鳥破風、向拝に唐破風を設け、細部には極彩色の彫刻がちりばめられています。
また拝殿の後方には正面一間・側面二間の幣殿が拝殿から突きだす形で一体となって繋がっており、上には切妻造の屋根が載せられています。
拝殿の建立は正徳五年(1715)頃と推定されていますが、拝殿建立時の棟札には幣殿の記載がないため、幣殿は拝殿とは異なる構造手法で建立し、あとから付け足されたものであると見られているそうです。
拝殿はその後、宝暦5年(1755)七代藩主信寧によって造り替えられました。


幣殿から中門(本殿に至る門)までは、石敷きの床に連子窓を連ねた廊下(石の間)が付けられています。日光東照宮の社殿に似ている感じです。
中門は一間一戸の平唐門で、屋根は杮葺です。
その奥にある本殿は、弘前藩四代信政が神式で埋葬されたところであり、正徳元年(1711)から二年にかけて造営されたものだといわれています。
桁行三間・梁間三間、入母屋造で屋根は杮葺。屋根の正面には千鳥破風を配し、一段低く造られた一間の向拝には唐破風を付けています。
ちなみに高照神社の社殿ではこの本殿が最も古く、そのあとで拝殿や随神門などを付け足していったので、手前側にいくほど社殿が新しくなります。

高照神社の社殿は吉川神道の思想に基づいて配置されたといわれていますが、具体的には何を以て吉川神道の思想を表しているのといっているのか、わたしにはいまいちよくわかりませんでした。
ただ、日光の東照宮と同じように、拝殿と本殿の間に石の間(相の間)がある権現造系統の社殿であることだけはわかりました。

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