2013年7月8日月曜日

高照神社③津軽信枚霊社

本殿の200mほど後方には、津軽信政公の廟所があります。


そこに至るまでの道は、今は雑木林になっていますが、昔は馬場があったところで、明治初期まで木が一本もなく、海の砂が敷き詰められていたといいます。
馬場の規模は幅約15m、距離が約150mで、一周は約300mとなっており、周囲には土塁などの遺構が残されているそうです。


ついでに、これは馬場跡の道沿いにあったお茶の水という湧水であります。
仰々しい名前のわりには、誰それにこれを献じたとかいう話が伝わっていない、謎の湧水ですが、まあたぶん普通の岩木山系の湧き水だろうと思われます。
いちおう飲用可らしいので、近くにお越しの際は汲んでいくといいでしょう。

馬場跡の突き当りに、信政公の廟所がありました。


廟所門は一間腕木門で、屋根は切妻造の銅板葺となっています。


廟所門の左右からは垣がめぐらされており、中には桁行三間・梁間二間、切妻造の廟所拝殿と、津軽信政公の墓二基が安置されています。
二基の墓というのは、本墓(宝永七庚寅年銘)と普段の礼拝用の拝墓です。
ごく近接した場所に本墓と分けて別に拝墓を造る意味がよくわかりませんが、神社でいうところの拝殿と本殿に相応するものでしょうか。
ここは日光東照宮でいうところの奥社のようなもので、おそらくは藩主などのごく限られた人物しか入れなかった場所であっただろうと考えられます。
今はおかげさまで廟所の近くまでは行くことができますが、内部は非公開。
ちなみに本墓は八角形、拝墓は方形の石柱型の墓石であるということでした。

あとはおまけです。
津軽信政公廟所から南(左)に数十メートルのところに、森岡氏霊社という小さな社があります。


これは津軽家四代信政公の訃報に接し、江戸より帰藩中、津軽領内にて割腹殉死した家臣の森岡民部藤原元隆に対し、津軽家がその忠誠心に感じて霊地約300平米を与え、祀ったものだそうです。

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