2013年10月10日木曜日

光明寺①由緒、建物

以前、鎌倉や江の島の神社仏閣等について調べものをしている時に、また鎌倉を再訪する日がきたら行こうと思っていた場所がいくつか出てきました。
そのひとつが今回ご紹介する浄土宗の大本山、天照山蓮華院光明寺です。
住所は鎌倉市材木座六丁目17-19。鎌倉駅から京急バスの小坪経由逗子駅行きに乗り、光明寺前バス停で下車してすぐのところ、材木座海岸の近くにありました。

当寺の開基は鎌倉幕府の第四代執権北条経時、開山は浄土宗の第三祖然阿良忠上人(記首禅師)と伝えられています。
良忠上人は正治元年(1199)石見国三隅庄(現島根県那賀郡)で誕生。十六歳で出家し、出雲国鰐渕寺で受戒。のち各地に教えを求めて遊学しました。
その後、勧めにより九州に下向した良忠上人は、三十八歳の時に上妻(現福岡県八女市)の天福寺にて浄土宗第二祖聖光房弁長上人のもとに学び、嘉禎三年(1237)に浄土宗第三祖となりました。
良忠上人はその後鎌倉に入り、大仏朝直(北条時直)の帰依を受けて佐介ヶ谷に一寺を建立し、そこに移り住んだといわれています。
この時、朝直よって建立された寺を悟真寺といいますが、これが光明寺の前身になったと考えられているようです。
のち仁治元年(1240)、鎌倉幕府執権四代北条経時により一寺が建立され、悟真寺から蓮華寺に改称したといわれています。
現在地へは寛元元年(1243)に移転、その時に現在の寺名である光明寺に改められたと伝えられています。

光明寺はその後も第五代執権北条時頼をはじめ歴代執権の帰依をうけ、関東における念仏道場の中心となり、明応四年(1495)には後土御門天皇より「関東総本山」の称号を受けて、国と国民の平安を祈る勅願所となりました。
慶長二年(1597)には徳川家康により関東十八檀林(幕府が制定した学問所)の筆頭に置かれ、手厚く保護されてきました。

現在の伽藍は総門・山門・本堂・開山堂・大聖閣・書院・方丈・客寮・庫裡などからなり、境内には良忠上人をはじめとする歴代法主の墓所、光明寺開基北条経時公の墓所や神明社・秋葉社などがある天照山(光明寺の裏山)や、記主庭園・三尊五祖の石庭などの庭園があります。
総門は明応四年(1495)建立、寛永年間(1624~28)再建で、市指定文化財。
山門は弘化四年(1847)に再建、鎌倉に現存する山門の中では最大のもので、県の重要文化財に指定されています。
ちなみに山門の「天照山」の扁額は後花園天皇の御宸筆で、永享八年(1436、当初の建築年)の裏書きがあるそうです。
本堂(大殿)は元禄十一年(1698)の建立で、現存する木造の古建築としては鎌倉でも最大規模を誇る大堂で、本尊阿弥陀三尊ほか諸仏を祀っています。建物は国の重要文化財に指定されています。
開山堂には良忠上人をはじめとする歴代法主の御影を祀っています。
かつては現本堂を祖師堂と称し、そこに開山上人像などを安置していましたが、大正十二年の関東大震災で倒壊した阿弥陀堂の御本尊を祖師堂へ遷座してこれを本堂とし、翌十三年に現開山堂が新たに建てられました。現在の建物は平成十四年に老朽のため再建されたものだということです。

0 件のコメント: