2013年10月14日月曜日

法華堂跡・源頼朝墓

源頼朝墓は、鶴岡八幡宮境内から北東に500mほど行ったところにあります。
わたしはおそらく源氏にも平家にも関係のない家柄の者ですが、どちらかというと平家の方が昔からなんとなく好きで、神社が好きだから鶴岡八幡宮には行くけれども、頼朝の墓は別にあまり興味がないから行かなくてもいいかなと思い、前に鎌倉を訪れた際には立ち寄りませんでした。
が、それはやはり違うと、それは香川県に行っておきながら讃岐うどんを食べないようなものであると思い直し(違うかもしれませんが)、二度目の鎌倉訪問にして初めて頼朝の墓に行ってみることにしました。

墓の所在地は神奈川県鎌倉市西御門二丁目1。
さきほども述べた通り、鶴岡八幡宮の境内から北東方向へ500mほど行った、細い路地の突き当りにありました。


鎌倉幕府というと、「いい国(1192)つくろう」の語呂合わせが有名ですが、幕府成立に先だって、まずは治承四年(1180)に大倉郷(現鎌倉市二階堂・西御門・雪ノ下三丁目一帯)に頼朝の邸となる大倉御所が建設されました。
邸内には持仏堂(法華堂)が建てられ、そこに頼朝が石橋山の戦いの際に髻(もとどり)の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され、頼朝により篤く信仰されていたといわれています。
のち正治元年(1199)に頼朝が五十三歳で没すると、御遺体は自身の持仏堂であった法華堂に葬られ、これを墳墓堂と称しました。
墳墓堂はその後、室町中期以降は明治初年の神仏分離の頃まで鶴岡八幡宮の供僧相承院によって諸仏事が執り行われ、歴代の執権や後代の武士らによって篤く尊崇されてきたといわれています。
幕府滅亡後もしばらく法華堂は存続しましたが、十七世紀の初頭までには堂社がなくなり、のち法華堂跡地に石造りの墓塔が建てられました。
現在の墓域は、安永八年(1779)に薩摩藩主島津重豪によって整備されたものだということです。

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