2013年10月17日木曜日

佐助稲荷神社②佐助稲荷の狐

佐助稲荷の参道には無数の赤鳥居や幟旗が立ち並んでおりますが、境内には石製の狐や陶製の狐も大量に奉納されており、信仰の深さを感じさせました。
いちいち台座を調べるのが面倒だったので、石狐の年代などは調べていませんが、まあとにかく量は本当に多くありました。


近年はほとんど見かけなくなったといいますが、鎌倉市では実際に昭和三十年頃まではキツネの生息が確認されていたようです。
昔はたぶん、この神社の周りにもキツネがたくさん棲んでいたのでしょう。

さて、光明寺の境内に繁栄稲荷神社という小さな稲荷のお社がありましたが、そこにはこのような伝説が残されておりました。
光明寺の開山良忠上人がかつて佐介ヶ谷にいた頃、子狐を助けたことがありましたが、その夜、上人の夢に親狐が現れて薬種を置いていきました。
のち鎌倉に疫病が蔓延した時、その薬種を蒔いて、それからとった葉を与えると、疫病はことごとく快癒し、民衆はみな感謝した、という話です。

これに非常によく似た話が当社にも伝わっていました。
境内の案内板にその話が載っていたので、引用してみましょう。

源十郎弥十郎事(佐助稲荷霊験譚)
昔、源十郎ト云魚商人アリ、魚ヲ荷テ由比浜ヲ通リケルニ、犬有テ狐ヲ逐テ走リ来ル、狐遁難ケレハ、源十郎カ荷ヘル籠ノ中ヘ飛入、源十郎是ヲ見テ憐ト思ヒ 犬ヲ制シテ狐ヲ助タリ、其夜ノ夢ニ狐来テ告テ曰ク、御情ニ依テ我今日ノ難ヲ免レタリ、其御恩ヲ報セン為ニ来レリ、源十郎殿日来ノ所作ヲ止テ、左介谷ニ於テ蘿葍ヲ作リ給ハ、大ナル幸アラント云ト見テ覚ヌ、源十郎意得スナカラ狐ノ教ニ随テ、左介谷ニテ地ヲカリテ蘿葍ヲ作ル、其年ノ冬、鎌倉中ニ疫病起リテ死スル者十カ八九、貴賤此事ヲ嘆キアヘリケルニ、或人ノ夢ニ神来テ告テ曰ク、左介谷ノ源十郎カ作レル蘿葍ヲ買テ食シタラハ、病立トコロニ差ヘシト示シ給フ、此夢ノ告ヲ鎌倉中ヘ披露シケレハ、我劣ラシト彼蘿葍ヲ買得テ食スル程ノ者、其病、差スト云事ナシ、カヽリケレハ其蘿葍モ滅シ行ニ随テ、価モ次第ニ高値ニ成テ、源十郎惣ニ富人トナル、是狐ノ教ニ依テナリトテ、先稲荷明神ノ社ヲタツ、即今ノ神社是也、(「金兼藁」万治二年(一六五九年)収録)

この話に登場するのは良忠上人ではなく、また、蒔いたものも薬種ではなく蘿葍(らふく=ダイコン)となっていますが、大筋では同じ話といえるでしょう。
前に書いた通り、助けた狐が実は佐助稲荷の神霊で、その狐からもたらされた薬により疫病が平癒するというお話は、どちらかというとこっちがオリジナルに近く、光明寺の方はそのバリエーションだとわたくしは思っています。
光明寺の前身となった蓮華寺が佐助一丁目の交差点付近にあり、佐助稲荷の近くに良忠上人が住んでいたので、いつの間にやら源十郎が上人に置き換えられ、次第に高徳の僧によって霊薬がもたらされたという、なにやらありがたげな仏教説話のようなお話に変化していったのではないでしょうか。
まあ何にしても、たぶんこうした伝説も、当地に狐が多かったからこそ出てきたお話なのではないかなと思います。

さて、ここでちょっと境内の様子を見てみましょう。
佐助稲荷がある境内地の山を稲荷山というそうですが、この山には登山道がついており、道端には稲荷の祠や奉納された狐像などが安置されています。


この道をしばらくいくと、まもなくこのような場所に出ます。


これは稲荷の御塚と呼ばれるもので、佐助稲荷の社殿が建立される前からあった信仰の場であったといわれているところです。
いつ頃から信仰されてきたかはわかりませんが、なるほどたしかに原初的な巨石信仰のにおいすら感じさせる、厳かな雰囲気でありました。
当社の建立は建久年間(1190~1199)といわれていますが、当地は霊場として、それよりも結構前から信仰されてきたのかもしれません。

拝殿の右側の岩盤には、霊狐泉という湧水がありました。


境内の山(稲荷山)は、麓の田畑を耕す水源の地であり、里人はこの生命の湧き水を「霊狐の神水」と呼んだといわれています。
当地は田畑を潤して農作物などの恵みをもたらし、さらには医薬や富をももたらす神霊(霊狐)の住む神聖な場所であったというわけです。

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