2013年10月25日金曜日

龍口明神社①江島縁起

江島神社について調べものをしている時に、次に江の島に行く機会があったらぜひ行ってみようと思ったところがありました。
それが、今回ご紹介する鎌倉市腰越の龍口明神社です。
江島神社には「江島縁起絵巻」という江島神社の創建にまつわる絵巻物が伝えられていますが、その中に弁財天に恋した龍神の話が載っています。
そのお話は、今回ご紹介する龍口明神社の創建にも大いに関わりがあるので、まずはここにその概要を載せてみることにいたしましょう。

伝説によると、今から千五百年ほど昔、鎌倉の深沢村(現鎌倉市深沢地域)には湖があり、そこに五つの頭を持つ龍が住んでいました。
五頭龍は村を襲っては女や子どもをさらっていき、抵抗する術を持たない村人たちは五頭龍の到来を恐れ、そして嘆き悲しみました。
欽明天皇十三年(552)四月のこと。大地震が起きて津波が襲いました。
十日ののちに地鳴りはやみましたが、今度は海底で大爆発が起きて島ができました。これが江の島の誕生だといわれています。
五頭龍はその様子を湖の中から見守っていましたが、そこへ天から美しい姫が紫雲に乗り、左右に童女を従えて島に舞い降りてきました。
この姫が江の島の弁財天で、その姿をひと目見た五頭龍は、わが妻にしたいと弁財天の元にかけつけ、心の内を打ち明けました。
しかし弁財天はこれまでの五頭龍の罪を責め、にべもなく断りました。
そこではじめて五頭龍はこれまでの自分の悪行に気づき、罪を詫びて、これからは村を守ると誓って山となりました。
この時に龍が変化した山というのが江の島対岸にある龍口山で、村人はここに五頭龍を祀った社を建てて、龍口明神としました。
この社では六十年に一度「巳年式年大祭」を行ない、この日には龍口明神社の御神体である木彫りの五頭龍を神輿で江の島まで運び、弁財天と会わせているということです。

この伝説により、江島神社と龍口明神社は夫婦神社であるとされています。
前に江の島に行った時はなんの予備知識もなかったので、観光地としても名高い江島神社しか見ませんでしたが、こうした伝説を知ってしまうと、やはり江島神社とセットで龍口明神社も見なければならないような気がして、次に江の島に行く機会があったら絶対行かなきゃいけないなと思っていたのでした。

というわけで、前置きが長くなりましたが、長谷寺を出たわたくしは再び江ノ電に乗り、江の島方面へと向かいました。
前にも書いたことがあるけれども、稲村ケ崎駅あたりを過ぎたあたりから江の島まで、江ノ電は海岸線に沿って進み、窓外の景色もそれは美しい。


とりわけ鎌倉高校前駅あたりの景観がすばらしいので、下車して江の島まで歩きたいと思っていたのですが、この時はちょうど秋の行楽シーズンで車内はすし詰め状態だったので、いざ鎌倉高校前駅で降りようとするも、ドアの手前80cmほどのところで扉が閉まり、思わず小さな声で「ああ…」と漏らしてしまった結果、それを聞いていた近くの女子高生にくすくす笑われてしまいました。
女子高生に笑われるなんて、ご褒美以外の何物でもないわ。
…などと思うはずもなく、少しいたたまれない気持ちのまま電車内に取り残され、次の腰越駅にて下車しました。


腰越というのは龍口明神社の鎮座地と同じ地名ですが、龍口明神社の最寄駅はさらにそのひとつ先の江ノ島駅となっています。
龍口明神社のあたりは境界をめぐって争いがあったところで、いろいろ面倒くさいのですが、余裕があればそれについては次回以降で述べたいと思います。

さてそういうわけで、腰越駅から一駅分歩くことになったわけですが、ちょうどこの腰越駅~江ノ島駅間というのは普通の鉄道の軌道ではなく車道を走る路面電車区間となっており、鉄道ファンの間ではよく知られた場所のようでした。


わたしは電車の写真はわりに好んで撮るけれども、別に鉄道ファンでもなければ、特に電車に詳しいわけでもないので、思いがけず出会った珍しい光景に、ただただ「いいもん見たなあ」とばかりに感嘆いたしました。

江ノ電の軌道に沿って進むと、まもなく見えてくるのが日蓮宗の龍口寺。


そして、その龍口寺の境内地の左隣にあるのが龍口明神社です。


龍口寺と龍口明神社は一見、何か関わりがありそうに見えますが、二つの間には特に関係はないようでした。

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