2013年10月27日日曜日

龍口明神社②由緒・旧社地

先述のとおり、欽明十三年(552)に山となった五頭龍大神を祀るため、龍口山の龍の口にあたる部分に社を建てたことが当社の発祥と伝えられています。
創建当初は、子死方明神や白髭明神の名で呼ばれていたといわれています。
のち養老七年(723)、江の島岩屋中にて修行中の泰澄大師の夢枕に現れた玉依姫命と五頭龍大神の姿を木像に彫り、これを白鬚明神へ納めました。
この時奉納された木像が、当社の御神体だといわれています。
また、この時に社名を龍口明神社としたとも伝えられています。

当社は長らく津村(鎌倉市津)・腰越村(同腰越)両村の鎮守でありました。
津村・腰越村は、中世まではどちらも津村郷(津村・腰越村・笛田村・手広村・川名村からなる)という大きな郷の一部で、そのうち津村の方が本村にあたり、腰越村はその支村という関係であったといわれています。
江戸時代に入っても津村・腰越村の両村は二つ合わせて一村をなしていましたが、のち寛文六年(1666)に土豪島村氏に反対する勢力が津村から分離独立し、独立した一村としての腰越村を創立しました。
この時の分離独立騒動のゴタゴタで、津村・腰越村の境界線は非常に複雑で入り組んだものになってしまったといわれています。
しかし、龍口明神社はどうやら津村の側に編入されることになったようで、安永二年(1773)に神社付近の土地が片瀬村の領域に属することになった時も、境内地及び社有地は飛び地として津村の所有のまま残り、その状態が今日に至るまで続いているということです。

しかしながら、社地が飛び地として行政地域を越えた場所にあること、また戦後の復興により交通事情が悪化したことで神輿渡御が難しくなったことなどから、昭和五十三年(1978)氏子により遷座祭が執り行われ、龍口山の龍の胴にあたる現在地(鎌倉市腰越1548-4)へ移転となりました。
すなわち、今回の龍口寺の隣にある境内地は元の境内地であって、現在は使われていないのであります。


しかし、神社の腰越移転後も旧社地はそのまま保存せられ、鳥居・社殿等の建造物も移転前と同じ姿で残されていました。
柵で封鎖してあるので、それより先へは行けませんが、階段を上がってすぐのところに狛犬が一対鎮座しているのが見えました。


年代の確認はできませんでしたが、なかなか味わいがあるいい狛犬でした。

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