2013年10月28日月曜日

龍口明神社③龍口山

前回書いた通り、龍口明神社昭和五十三年(1978)に龍口山の中腹にあたる鎌倉市腰越1548-4の現在地に遷宮したといわれています。
現社地の最寄駅は湘南モノレールの西鎌倉駅となっております。
そこで、龍口明神社の旧社地を出たわたくしは、江ノ電江ノ島駅から100mほど離れたところにある湘南モノレールの湘南江の島駅の乗り場に行き、西鎌倉駅に向かうことにしました。


わたしはモノレール自体には何度か乗ったことがありますが、湘南モノレールは懸垂式という車両がレールにぶら下がる方式のやつで、この形式のものにははじめて乗りました。


これが結構揺れるのです。
見た目は未来の乗り物っぽいのに、ガタガタ揺れるのです。
しかもICカードを導入していないので、切符を買わなければならないのです。
見た目はこんなに未来の乗り物っぽいのに。

でも、おもしろかったからいいやと思いました。

西鎌倉駅を出てからは右方向に少し歩き、新鎌倉山入口という交差点で左折して、しばらく坂道をのぼります。


駅のすぐ近くは鎌倉市津だけれども、


龍口明神社の付近は腰越となっていました。


先述の通り、このあたりは津村と腰越村の分離独立騒動があったところなので境界線が入り乱れており、非常にわかりにくくなっております。
いっそ区画整理でもした方が便利だろう思うのですが、しかし一方で、地名というのは過去の歴史を伝えるものなので複雑な境界線というのにも意味があり、そうやたらと変えるものではないという思いもあります。
複雑な住所に対して付近の住民の方はどう思っているのかはわかりませんが、年賀状のバイトの学生さんとかは大変そうだなと思いました。

腰越という地名は、伝説によると五頭龍が子どもをさらって行く山道を「子死越」と呼んだことにはじまるといわれています。
龍口明神社が現在の社号になる以前、創建当初は子死方明神や白髭明神と呼ばれていたことも、それと何か関わりがあるでしょうか。
ただし、腰越が「子死越」に由来するというのは、五頭龍伝説にのっとった後世の付会説という気がしないでもありません。

龍口明神社が子死方明神のほかに白髭明神と呼ばれていたことから察するに、おそらく当社は洪水と何らかの関わりがあるものと推測されます。
五頭龍が棲んでいたといわれる湖は、鎌倉市深沢にあったといわれています。
深沢地区は龍口明神社の旧社地からみて北東に4㎞ほど離れた場所にあり、現在はその湖というのはなくなっているのですが、伝説にあるように地震か何かの天変地異があり、その時に湖が決壊するかして土砂が流れだし、それが堆積して現在の江の島対岸あたりに山(龍口山)を作ったものではないでしょうか。
そう考えると、地震のあとで五頭龍が深沢から江の島の弁財天のところに来たという伝説も意味が通じるし、五頭龍が変化してできたという山に白髭明神が祀られていた理由もなんとなくわかる気がするのであります。
ただ、わたしは地質的なことはよくわからないので、この話はあくまで伝説に基づく推測にすぎないものであるということをお断りしておきましょう。

さて、五頭龍が変化したという龍口山でありますが、龍口明神社旧社地が龍の開口部にあたり、現社地は胴の部分にあたるといわれておりました。
しかし、昔の人が龍に見立てたという山も、今日ではその山容をうかがい知ることは難しい状態となっております。


それは、もともと龍口山がそう高くない山であるということもあるのですが、宅地造成などのために周辺が開発されたことが原因でもあるようです。

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