2014年2月6日木曜日

巌鬼山神社②由緒

岩木山神社の項でも触れましたが、巌鬼山神社は延暦十五年(796)坂上田村麻呂が岩木山頂に奥宮本宮を建立して父の刈田麻呂を合祀し、その奥宮に対する下居宮として建立したのがはじまりといわれています。
のちに台密が広がりをみせてくると、熊野三山の形式を借りて岩木山の三峰を熊野三山に当てはめて信仰されるようになりました。
岩木山の中央の峰を岩木山といい、ここに国常立命の本地仏である阿弥陀如来を祀り、左峰の巌鬼山には国安珠姫(多都比姫)の本地仏である十一面観音を、そして右峰の鳥海山には大己貴命の本地仏である薬師如来を祀りました。
これらを以て岩木山三所大権現などと称します。

古くから岩木山は信仰の対象として崇拝されており、修験者や行者によって信仰的な登山が行われていたとみられていますが、かつてはこの下居宮が岩木山への登山口であり、岩木山信仰の中心であったと考えられています。
しかし、百沢寺(現岩木山神社)の縁起によると、十腰内より登山する者のうち、怪異により怪我をしたり行方不明になったりするものが相次いだので、神託に従いのち寛治五年(1091)に十腰内より百の沢を隔てた岩木山南麓に一宇を建立。百の沢を越えて建てられたゆえに百沢寺と号しました。
これが現在の岩木山神社の前身になったといわれています。
移転の理由は、単純に考えて十腰内からの登山道が危険で山岳事故が多かったためだろうと思われます。

百沢寺の建立により、岩木山信仰の中心地は十腰内から岩木山南麓の百沢に移ったわけですが、元の下居宮が捨ておかれたというわけではありません。
かつて岩木山三峰に祀られた三仏(岩木山三所大権現)にはそれぞれ別当寺がついており、それぞれの御本尊を奉祀していました。
それがやがて百沢寺に統合され、一時は巌鬼山の峰に祀られていた十一面観音を管理する巌鬼山西方寺観音院も廃寺となっていましたが、のち元禄四年(1691)に氏子によって再興され、神仏分離が行われる明治初年頃まで弘前藩の歴代藩主の庇護のもと、広く崇敬を集めてきました。
その後、明治九年(1873)神仏分離により社号を巌鬼山神社と改称し、今日に至っています。

巌鬼山神社は、現在は山の神である大山祇神を御祭神として祀っていますが、これまでに述べてきた通り、昔は巌鬼山西方寺観音院、または十腰内観音堂などと称し、本尊には十一面観音を祀っていました。
「津軽俗説選」によると、十腰内観音堂の観音様は「一木三神」の観音様で、久渡寺の観音、入内の観音と同じ木から作られたものであるといわれ、この三尊を一日で巡拝すると諸願成就するといわれているそうです。
移動手段が限られていた時代のことならば、一日で回るのはとうてい無理な距離ですが、今は自動車なり何なりを使えば半日足らずで見て回れる距離であります。まことに夢のない時代になりました。
当社は津軽三十三観音の第五番札所としても知られています。

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