2014年5月22日木曜日

ふかうら文学館・猿神鼻岩洞門

千畳敷海岸からさらに西へ向かい、深浦町の中心部へ。


深浦は天然の良港であり、古くから蝦夷地と上方を結ぶ北前船(弁財船)の寄港地、風待ち湊として知られ、町はこの湊を中心に栄えてきました。


深浦湊は、弘前藩四代藩主津軽信政の時代には青森・鰺ヶ沢・十三とともに津軽四浦のひとつにも数えられ、藩政時代中頃になると町奉行所や御蔵・湊番所・遠見番所などが置かれ、藩の管理下にあったということです。

湊には幕末から明治初年頃にかけて船問屋が十五~六軒ありましたが、その中でも特に大きなもののひとつに「秋田屋」がありました。


秋田屋は昭和五年に旅館「秋田屋旅館」を創業。
秋田屋旅館は、太宰治の小説『津軽』にも登場するお宿で、当時の主人が次兄の英治兄さんの同級生だというので、太宰のテンションがだだ下がりしたことでも知られる、とても有名な旅館であります。
現在は町の文化観光施設「太宰の宿『ふかうら文学館』」として改装され、太宰治のほか、深浦町ゆかりの文化人を紹介する資料館となっていました。
入館料は大人300円。ちなみに資料館は当館の二階の方で、一階はふつうの町の図書館になっています。

ふかうら文学館のやや東方に深浦町歴史民俗資料館という文化施設がありますが、そのすぐ近くには猿神鼻岩洞門という岩を穿った洞門がありました。


猿神鼻岩は、その名の通り猿に似ていることから名づけられた岩で、深浦湊の象徴的な存在として、古くから信仰の対象となってきたといわれています。
洞門(穴)は、明治二十五年から同三十九年に行われた能代道改修工事の際に深浦湊への物資の運搬が容易にできるようにと開けられたもの。
しかし、現在は安全のために封鎖されておりました。
幕末頃には外国船の出没に伴い、沿岸警備のため猿神岩に台場が設けられ、砲門三基が備えられていたこともあったということです。

ここに行った当時、あまり時間がなかったので、ろくに案内板なども読まずに写真を数枚撮ってすぐに立ち去ったのですが、あとで写真を確認したら、洞門にばかりご執心で、肝心の猿神岩が全然撮れていないことに気づきました。
つげ義春風に言うと、「おれも助平だよね。穴ばっかり狙って」という感じ。
ようやく一枚だけそれっぽいのを見つけましたが、どうでしょうか、猿の横顔に見えるでしょうか。


なんとなくそれっぽいですよね。
でも本来は反対側から見るものらしいです。

この猿神鼻岩に夕日が照りつけるさま、「猿神鼻夕照」は、深浦十二景のひとつにも数えられているということでした。

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