2014年5月25日日曜日

円覚寺①由緒

深浦湊の西側に、立派な山門を構えたお寺がありました。


この寺は山城国三宝院醍醐寺の末山で、春光山円覚寺と号します。
宗派は現真言宗醍醐派(開山の円覚は修験者)で、本尊は三十三年ごとに開帳するという十一面観世音像だそうです。
太宰治『津軽』で、町の人は円覚寺のことを単に「観音さん」と呼んでいましたが、それとは別に「澗口(まぐち)観音」の俗称があったといわれています。
この名は、寺が澗(港)の入口にあることに由来します。
山門(仁王門)を抜けた先の中央に本堂の澗口観音堂があり、左に金毘羅堂(護摩堂)、右に薬師堂があります。
円覚寺というのは、これら諸堂の総称であります。

円覚寺は、大同二年(807)坂上田村麻呂がこの地に観音堂を建立し、聖徳太子作の十一面観音像を安置したことにはじまると伝えられています。
その後、貞観十年(868)に大和国の修験者円覚法印が修験道を奉じ、この地に来て観音堂を再興しました。寺号の円覚寺も円覚にちなむものです。
これまでにも何度も述べた通り、深浦は北前船の寄港地として重要な湊でしたから、当寺は各時代の豪族や津軽家の歴代藩主の庇護をうけてきました。
また、海上交通が盛んになると、海上安全・商売繁盛を祈願する船乗りや港湾関係者の信仰を集め、多くの船絵馬・髷額などを奉納したということです。
これら、船乗りらによる奉納額等は、かつての日本海海運や海上信仰などを知るうえでの重要な資料になっており、「円覚寺奉納海上信仰資料」として国指定重要有形民俗文化財にも指定されています。
その後、明治五年(1872)修験道禁止令をうけ、真言宗醍醐派末寺の「祈祷寺」となって現在に至っております。

円覚寺は津軽三十三観音の第十番札所。また、第九番札所の見入山観音堂(深浦町追良瀬)も同寺の管理下にあるということです。
例祭(大法会)は七月十六日・十七日です。


菅江真澄も訪れたことがあるという、非常に由緒ある古刹であります。

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