2014年5月27日火曜日

円覚寺②諸堂

由緒の項でも述べましたが、円覚寺には澗口観音堂(本堂)のほか、本堂の左手に金毘羅堂(護摩堂)、右手に薬師堂と、計三つのお堂があります。
澗口観音堂については、「新撰陸奥国誌」に次のような記述がありました。
外椽ともに五間半奥行五間東向十一面観音を安す縁起を按に大同二丁亥年田村麻呂東征の時の草創にして其后当寺開山円覚貞観中再興し永正三丙寅年葛西木庭袋伊予守頼清再興し(当村貴船神社の准祠掌工藤茂穂か初祖木庭袋頼清とあるは則同人なるへし)寛永元甲子年津軽信牧新に台座後光を修補し本尊を施彩し同二乙丑年再建し明暦元乙未年津軽信義修覆し寛文七丁未年津軽信政本尊に箔を置き着色し元禄十三庚辰年再興し享保十三戊申年津軽信寿修繕ありしと云ふ
貞観年中の円覚による再興以後、永正三年(1506)の葛西木庭袋伊予守頼清による再興、津軽家の歴代藩主らによる本尊の修復、堂宇の再建など、各時代時代の有力者の手によって手厚く保護されてきたことがわかります。
ちなみに、詳しく調べたわけではないのですが、葛西木庭袋伊予守頼清というのは、中世この一帯に一定の勢力を持っていたといわれる豪族で、のちその子孫が南部氏に敗れると、一部は社家になり、また一部は津軽氏の家臣になったといわれています。そこそこすごい一族だったみたいです。


こちらは本堂の左手にある護摩堂(金毘羅堂)です。


金毘羅様は海上安全の神様といわれ、船乗りたちの信仰を集めました。
このお堂も古くから信仰を集めてきたらしく、特に江戸時代に日本海海運が発達すると、船主・船頭らが安全を祈願して多くの船絵馬を奉納しました。
金毘羅堂の中には、幕末から明治後半にかけての船絵馬110枚があり、これらは国指定重要有形文化財の「円覚寺奉納海上信仰資料」の一部にもなっています。

そして、こちらが本堂右手にある薬師堂です。


薬師堂内部の厨子は国指定重要文化財。
伝説によると、藤原基衡が寄進したものといわれています。
県重宝に指定されている薬師堂鰐口には至徳二年(1385、至徳三年とも)の銘が、さらに薬師堂の棟札に「永正三年 葛西木庭袋伊予守頼清敬白」の記があるものがみられることから、厨子の年代は少なくとも室町時代中期を下らないものであるといわれ、本県最古のものとされています。
また、薬師堂内には寛永十年(1633)奉納の船絵馬があり、こちらも「円覚寺奉納海上信仰資料」の一部となっています。

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